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天竜浜名湖鉄道は、東海道本線の掛川から
遠州の内陸部、浜名湖畔を通り、
愛知県との県境、新所原まで
営業キロ67.7kmの第3セクターです。
天竜浜名湖線の前身は国鉄二俣線です。
太平洋沿岸を走る東海道本線が
アメリカの艦砲射撃により破壊された時の
バイパスとして、戦前に作られたそうです。
今から20年以上前、一度二俣線に乗っています。
その時は、大学入試に合格し仙台に向かう時に
寄り道して、この二俣線経由で行ったのです。
その後、1987年に第3セクター化され
天竜浜名湖鉄道として再スタートを切っています。
この天竜浜名湖鉄道に、2006年1月3日に
掛川城に行った帰り道に乗車しました。
一両編成の気動車です。
これが折り返し 11:05 の
天竜二俣行きになります。
新幹線の駅もある掛川駅にポツンと
一両編成の気動車が停まっているのは、
どことなくユーモラスな感じです。
掛川を発車し東海道線と分かれると、
細い単線のレールが続く
ローカル線の雰囲気となりました。
車窓にはショッピングセンターや
時折新しい工場も現れ、
産業集積地に居る事を実感します。
しかし、桜木を過ぎると、広々とした
田圃が広がるのどかな景色になりました。
西ノ谷川に沿う広々とした谷に出来た平地です。
原田を過ぎるとこの平地も尽き、
緩やかな丘陵地を走るようになりました。
丘陵地もとてものどかなで、心和む車窓風景です。
お茶畑を眺めながらのんびり走りました。
丘陵地を抜け太田川を渡り、
遠州森に着きました。
遠州森は、清水の次郎長の子分
森の石松の生まれたところです。
この遠州森で途中下車し、
森の町や近くの天方城を散策してみました。
線路に溜まった落ち葉が、
列車が通り過ぎた後に
巻き上がっていました。
しばらく走ると、平地が広がり、
田圃の中ののどかな景色を
走るようになりました。
確か、この辺りか、遠州森の手前だったか
はっきり記憶に残っていませんが、
のどかな丘陵地帯を切り裂くように
高架橋や切り通しの大掛かりな
工事が行われていました。
第二東名の道路工事です。
総工費10兆円以上をかけて、
のどかな丘陵地帯を破壊しています。
地球温暖化による気候変動が
現実のものになりつつある今、
温室ガス効果の要因となる二酸化炭素を
大量に排出する自動車やトラックの為の道路建設に
莫大な建設費を投入する必要があるのか、
疑問に思えてきます。
列車は、終点の天竜二俣に到着しました。
車両基地もある天竜浜名湖鉄道の要衝の駅で、
日中は、この駅で乗り換えて先に進むような
ダイヤになっています。
ホーム向かい側の気動車に乗り換えました。
10分ほどの待ち時間があり、
14:26に新所原行きが発車です。
二俣の町を抜け、トンネルを越えると
天竜川を渡りました。
天竜浜名湖鉄道のハイライトの一つです。
車窓右手は、山が迫っています。
戦国時代にはこの辺りに二俣城が築かれ、
要衝の地になっていました。
車窓左手は、平野が広がっていました。
遠くに、浜松駅前の高層ビルが見えていました。
天竜川を渡ると遠州鉄道との
接続駅、西鹿島です。
以前、遠州鉄道に乗った時に、
この駅で乗り換えました。
かれこれ10年以上も経ち、
当時の様子が思い出せませんでした。
西鹿島を過ぎると、再び丘陵地帯を走りました。
天竜二俣からは乗客も少なく、
ひっそりと裏街道を行くといった趣です。
丘陵地を抜けると
再びのどかな平地が広がりました。
最後尾の窓に広がるこの景色を
独り占めして堪能していました。
夏は、多くの観光客で訪れる浜名湖。
この風景からは夏の賑わいは想像出来ません。
みかんの果樹園が続く山を
何度も通り抜け、湖に沿って走ります。
東名高速道路もこの浜名湖畔を通るようになり、
時折、車窓を高速道路で遮られてしまいました。
これは浜名久米駅です。
昔は入り江沿いの駅だったのですが、
今では、湖側に高速道路の
盛り土が目の前に迫っています。
浜名久米をすぎると、湖に突き出した
岬の基部を越えて行きます。
再び、湖が車窓に現れました。
雲が垂れ込め、急に外が暗くなり、
早くも夕暮れの様な雰囲気です。
都筑、三ケ日と駅に止まる度に
列車は次第に混雑してきました。
若い人が何人も乗って来ました。
ホームで見送る人もいて、
年末年始を帰省先で過ごし、これから
新しい一年のスタートを切るために
自宅に戻るのでしょうか。
知波田を過ぎると浜名湖と別れ
冬枯れの緩やかな丘陵地を走りました。
掛川から途中下車も含め、
半日かけた天竜浜名湖鉄道の旅も
そろそろ終わりに近づきました。
東海道本線に近づき、再び工場が現れ、
終着、新所原に到着です。
西に傾いた陽が、新所原の駅舎を
ほんのり赤く染めていました。
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