錦川鉄道は、山口県東部の岩国市内を、
山陽本線の岩国駅と山口線の日原駅を結ぶ
その後、日原までの開業は実現しないまま
列車は岩国と錦川を結んでいますが、途中の
錦川鉄道には国鉄時代に乗車していますが、
2011年6月17日、朝に広島を出て、広島電鉄宮島線で
広島電鉄宮島線の乗車記はこちらです。
岩国を9:50発の錦川行の列車に乗りました。
発車前の車内の様子ですが、乗客は殆どいませんでした。
錦川鉄道のホームは、広い岩国駅の一番北側の0番線です。
岩国からは岩国と徳山を結ぶJR岩徳線を走ります。
今でこそ、JR岩国駅の周辺に市街地が広がり、岩国駅が
その為、1929年(昭和4年)に岩徳線が開業し、岩国町の
しかし、岩国町と麻里布町が合併し、岩国市となると、
1929年(昭和4年)の開業当初からの西岩国駅舎です。
西洋風の瀟洒な駅舎で、
西岩国を発車すると錦川を渡ります。
錦川を渡ると岩国市街地は尽き山間を走ります。
簡素なプラットフォームがあるだけの質素な駅ですが、
川西からも、錦川鉄道の列車もしばらくは
岩徳線はローカル線ですが、第二次大戦前は
そして岩徳線との分岐がありました。
ここが森ヶ原信号場です。
岩徳線と分かれた後も、山間を走りますが、
新幹線の高架下に影になるように小さな
新幹線は500mも離れていない所に新岩国駅が
駅名もかつては御庄駅という名前でした。
清流新岩国からは錦川の作る渓谷に沿って走ります。
この先で守内かさ神駅に停車しました。
駅の手前に僅かな集落がありますが、一日に
守内かさ神を発車すると、田圃が広がりました。
南河内で、珍しく途中駅から乗り込む人がいました。
南河内の先で、大きく蛇行する
生憎の曇り空で、小雨もぱらつくような日でしたが、
次の行波駅を過ぎると、再び田圃が広がりました。
その狭くなる谷の手前に北河内駅がありました。
ここは錦川鉄道で唯一の列車交換が可能な駅で、
北河内を出ると、錦川に沿って走るようになりました。
錦川鉄道の線路は、川のギリギリの淵を走り、
標識の15が多分、速度制限の数字と思います。
最近、地球温暖化の影響で、豪雨や大型の台風が
次の椋野に到着した際の様子です。
並走する国道はずっと錦川の対岸を走り、
椋野からも狭い渓谷が続き、トンネルもなく
久しぶりに対岸に平地が広がり、
ここは歩行者用の釣り橋が架かっていました。
南桑を出ると、トンネルで蛇行する錦川の流れを
山深く切り立った渓谷ですが、下の写真の場所に、
鉄道以外にアクセス出来る道もない秘境駅らしいですが、
次の根笠を過ぎると、沈下橋が見えてきました。
沈下橋は、四万十川で有名になりましたが、正式には
この後、長いトンネルに入りますが、そこを抜けると
蛇行する錦川に寄り添って走る錦川鉄道の線路。
この景色を眺めるうち、終点の
柳瀬を出るとトンネルを抜け、谷が開けた
10:58、定刻での到着です。
錦町からは、日原への未成線のうち、雙津峡温泉までの
この時に乗ってみたかったのですが、時間の
錦川鉄道
Nishikigawa Railway
錦川に沿って遡る32.7kmの鉄道です。
陰陽連絡鉄道の一つとして建設が始まり、
1963年(昭和38年)に途中の錦町までの路線が
国鉄岩日線として開業しています。
国鉄民営化の際に第三セクターの錦川鉄道
として営業が続けられています。
森ヶ原信号場までは岩国と櫛ケ浜を結ぶ
岩徳線との併用区間となっており、正式には
森ヶ原信号場 - 錦町間の32.7kmが錦川鉄道です。
2011年6月に再乗していますので、
その際の様子を紹介します。
(Iwakuni - Kita-Gochi)
宮島口に向かい、その後に岩国にやってきました。
撮影: 2011年6月
撮影: 2011年6月
発車してすぐに、1番線ホームの岩徳線の線路と合流し
そして、山陽本線の線路と別れました。
撮影: 2011年6月
住宅地の中をしばらく走ると、西岩国に到着しました。
撮影: 2011年6月
名実ともに岩国市の代表駅ですが、1897年(明治30年)に
岩国に初めて山陽鉄道が鉄道を開業させた時、今の
岩国駅は当時の岩国町外で、麻里布町に位置していました。
中心地に近い今の西岩国に駅が出来ると、こちらが
岩国駅と名乗り、岩国駅は麻里布駅と名前を変えます。
麻里布駅は元の岩国駅と改名し、岩国と名乗っていた
岩徳線の駅が西岩国と改称されました。
撮影: 2011年6月
錦川まで往復した後に、下車した時の様子です。
撮影: 2011年6月
国の登録有形文化財に指定されています。
遠くに見える台形状の山の上には
岩国城址がありました。
撮影: 2011年6月
錦川を渡って程なく次の川西駅に着きました。
撮影: 2011年6月
ここが岩徳線と錦川鉄道との分岐駅にあたります。
撮影: 2011年6月
そのまま岩徳線の線路を走ります。
山陽本線になっていた路線で、今では想像も
出来ませんが、かつては東京や大阪と九州を
結ぶ特急列車が、ここを走っていました。
撮影: 2011年6月
川西からこの森ヶ原信号場まではJR西日本と
錦川鉄道の両社が第1種鉄道事業者となっています。
急に景色が開け、新幹線の線路をくぐりました。
ホームがあり、ここが清流新岩国駅です。
撮影: 2011年6月
あるのですが、接続駅にはなっていません。
新幹線の駅を少し南にずらせば、錦川鉄道の
駅も新岩国となり、乗り換え客の需要も
あった筈ですが、なんとも愚かな事です。
周囲は集落も見当たらない長閑な景色となりました。
撮影: 2011年6月
1993年(平成5年)に新しく開業した駅です。
撮影: 2011年6月
どれ程の人がこの駅を利用するのでしょうか。
この辺りから、いよいよ錦川に寄り添って走ります。
撮影: 2011年6月
撮影: 2011年6月
錦川の淵に沿って走りました。
撮影: 2011年6月
錦川には水煙も立ち上り、幽玄な雰囲気でした。
列車の進行方向は谷が狭まっているのがわかります。
撮影: 2011年6月
撮影: 2011年6月
乗車した列車も、上り列車と行き違いしました。
(Kita-Gochi - Nishikicho)
生憎、小雨が降りだし、列車前面の窓ガラスに
水滴が着き、それが流れるようになりましたが、
幸い、なんとか視界が確保されていました。
撮影: 2011年6月
時折、時速15キロの速度制限もありました。
撮影: 2011年6月
下の写真は、最も川べりを走る区間と思います。
撮影: 2011年6月
上陸し、各地で川の増水による水害が発生しています。
2018年の豪雨で、錦川鉄道も不通になってしまいましたが、
これ以上、線路に被害が出ないようにと祈るばかりです。
撮影: 2011年6月
駅に向かう橋が架かっています。
蛇行する錦川に沿って遡りました。
撮影: 2011年6月
学校も見かけると南桑です。
撮影: 2011年6月
撮影: 2011年6月
ショートカットしますが、トンネルを出ると
再び、錦川の右岸を走ります。
2019年3月19日に清流みはらし駅が開業しています。
撮影: 2011年6月
よくアクセス道路もない所にホームを作ったと思います。
撮影: 2011年6月
潜水橋といい、増水時に水面下に沈む橋です。
再び、列車は極端にスピードを落としました。
ここも時速15キロの制限区間です。
撮影: 2011年6月
このような眺めがずっと続いています。
撮影: 2011年6月
一つ手前の柳瀬駅に到着しました。
撮影: 2011年6月
盆地の中を走り、終着の錦町に到着しました。
撮影: 2011年6月
岩国からの38.9kmを評定速度34.3km/hで走りました。
約6kmに、愛・地球博で会場内輸送に活躍した車両を
使ったトロッコ遊覧車が運行されています。
やりくりが出来ず、この時は諦めました。