錦川鉄道
Nishikigawa Railway

錦川鉄道は、山口県東部の岩国市内を、
錦川に沿って遡る32.7kmの鉄道です。

山陽本線の岩国駅と山口線の日原駅を結ぶ
陰陽連絡鉄道の一つとして建設が始まり、
1963年(昭和38年)に途中の錦町までの路線が
国鉄岩日線として開業しています。

その後、日原までの開業は実現しないまま
国鉄民営化の際に第三セクターの錦川鉄道
として営業が続けられています。

列車は岩国と錦川を結んでいますが、途中の
森ヶ原信号場までは岩国と櫛ケ浜を結ぶ
岩徳線との併用区間となっており、正式には
森ヶ原信号場 - 錦町間の32.7kmが錦川鉄道です。

錦川鉄道には国鉄時代に乗車していますが、
2011年6月に再乗していますので、
その際の様子を紹介します。

岩国 - 北河内
(Iwakuni - Kita-Gochi)

2011年6月17日、朝に広島を出て、広島電鉄宮島線で
宮島口に向かい、その後に岩国にやってきました。

広島電鉄宮島線の乗車記はこちらです。

岩国を9:50発の錦川行の列車に乗りました。


撮影: 2011年6月

発車前の車内の様子ですが、乗客は殆どいませんでした。


撮影: 2011年6月

錦川鉄道のホームは、広い岩国駅の一番北側の0番線です。
発車してすぐに、1番線ホームの岩徳線の線路と合流し
そして、山陽本線の線路と別れました。


撮影: 2011年6月

岩国からは岩国と徳山を結ぶJR岩徳線を走ります。
住宅地の中をしばらく走ると、西岩国に到着しました。


撮影: 2011年6月

今でこそ、JR岩国駅の周辺に市街地が広がり、岩国駅が
名実ともに岩国市の代表駅ですが、1897年(明治30年)に
岩国に初めて山陽鉄道が鉄道を開業させた時、今の
岩国駅は当時の岩国町外で、麻里布町に位置していました。

その為、1929年(昭和4年)に岩徳線が開業し、岩国町の
中心地に近い今の西岩国に駅が出来ると、こちらが
岩国駅と名乗り、岩国駅は麻里布駅と名前を変えます。

しかし、岩国町と麻里布町が合併し、岩国市となると、
麻里布駅は元の岩国駅と改名し、岩国と名乗っていた
岩徳線の駅が西岩国と改称されました。


撮影: 2011年6月

1929年(昭和4年)の開業当初からの西岩国駅舎です。
錦川まで往復した後に、下車した時の様子です。


撮影: 2011年6月

西洋風の瀟洒な駅舎で、
国の登録有形文化財に指定されています。

西岩国を発車すると錦川を渡ります。
遠くに見える台形状の山の上には
岩国城址がありました。


撮影: 2011年6月

錦川を渡ると岩国市街地は尽き山間を走ります。
錦川を渡って程なく次の川西駅に着きました。


撮影: 2011年6月

簡素なプラットフォームがあるだけの質素な駅ですが、
ここが岩徳線と錦川鉄道との分岐駅にあたります。


撮影: 2011年6月

川西からも、錦川鉄道の列車もしばらくは
そのまま岩徳線の線路を走ります。

岩徳線はローカル線ですが、第二次大戦前は
山陽本線になっていた路線で、今では想像も
出来ませんが、かつては東京や大阪と九州を
結ぶ特急列車が、ここを走っていました。

そして岩徳線との分岐がありました。


撮影: 2011年6月

ここが森ヶ原信号場です。
川西からこの森ヶ原信号場まではJR西日本と
錦川鉄道の両社が第1種鉄道事業者となっています。

岩徳線と分かれた後も、山間を走りますが、
急に景色が開け、新幹線の線路をくぐりました。

新幹線の高架下に影になるように小さな
ホームがあり、ここが清流新岩国駅です。


撮影: 2011年6月

新幹線は500mも離れていない所に新岩国駅が
あるのですが、接続駅にはなっていません。

駅名もかつては御庄駅という名前でした。
新幹線の駅を少し南にずらせば、錦川鉄道の
駅も新岩国となり、乗り換え客の需要も
あった筈ですが、なんとも愚かな事です。

清流新岩国からは錦川の作る渓谷に沿って走ります。
周囲は集落も見当たらない長閑な景色となりました。


撮影: 2011年6月

この先で守内かさ神駅に停車しました。
1993年(平成5年)に新しく開業した駅です。


撮影: 2011年6月

駅の手前に僅かな集落がありますが、一日に
どれ程の人がこの駅を利用するのでしょうか。

守内かさ神を発車すると、田圃が広がりました。
この辺りから、いよいよ錦川に寄り添って走ります。


撮影: 2011年6月

南河内で、珍しく途中駅から乗り込む人がいました。


撮影: 2011年6月

南河内の先で、大きく蛇行する
錦川の淵に沿って走りました。


撮影: 2011年6月

生憎の曇り空で、小雨もぱらつくような日でしたが、
錦川には水煙も立ち上り、幽玄な雰囲気でした。

次の行波駅を過ぎると、再び田圃が広がりました。
列車の進行方向は谷が狭まっているのがわかります。


撮影: 2011年6月

その狭くなる谷の手前に北河内駅がありました。


撮影: 2011年6月

ここは錦川鉄道で唯一の列車交換が可能な駅で、
乗車した列車も、上り列車と行き違いしました。

北河内 - 錦町
(Kita-Gochi - Nishikicho)

北河内を出ると、錦川に沿って走るようになりました。
生憎、小雨が降りだし、列車前面の窓ガラスに
水滴が着き、それが流れるようになりましたが、
幸い、なんとか視界が確保されていました。


撮影: 2011年6月

錦川鉄道の線路は、川のギリギリの淵を走り、
時折、時速15キロの速度制限もありました。


撮影: 2011年6月

標識の15が多分、速度制限の数字と思います。
下の写真は、最も川べりを走る区間と思います。


撮影: 2011年6月

最近、地球温暖化の影響で、豪雨や大型の台風が
上陸し、各地で川の増水による水害が発生しています。
2018年の豪雨で、錦川鉄道も不通になってしまいましたが、
これ以上、線路に被害が出ないようにと祈るばかりです。

次の椋野に到着した際の様子です。


撮影: 2011年6月

並走する国道はずっと錦川の対岸を走り、
駅に向かう橋が架かっています。

椋野からも狭い渓谷が続き、トンネルもなく
蛇行する錦川に沿って遡りました。


撮影: 2011年6月

久しぶりに対岸に平地が広がり、
学校も見かけると南桑です。


撮影: 2011年6月

ここは歩行者用の釣り橋が架かっていました。


撮影: 2011年6月

南桑を出ると、トンネルで蛇行する錦川の流れを
ショートカットしますが、トンネルを出ると
再び、錦川の右岸を走ります。

山深く切り立った渓谷ですが、下の写真の場所に、
2019年3月19日に清流みはらし駅が開業しています。


撮影: 2011年6月

鉄道以外にアクセス出来る道もない秘境駅らしいですが、
よくアクセス道路もない所にホームを作ったと思います。

次の根笠を過ぎると、沈下橋が見えてきました。


撮影: 2011年6月

沈下橋は、四万十川で有名になりましたが、正式には
潜水橋といい、増水時に水面下に沈む橋です。

この後、長いトンネルに入りますが、そこを抜けると
再び、列車は極端にスピードを落としました。
ここも時速15キロの制限区間です。


撮影: 2011年6月

蛇行する錦川に寄り添って走る錦川鉄道の線路。
このような眺めがずっと続いています。


撮影: 2011年6月

この景色を眺めるうち、終点の
一つ手前の柳瀬駅に到着しました。


撮影: 2011年6月

柳瀬を出るとトンネルを抜け、谷が開けた
盆地の中を走り、終着の錦町に到着しました。


撮影: 2011年6月

10:58、定刻での到着です。
岩国からの38.9kmを評定速度34.3km/hで走りました。

錦町からは、日原への未成線のうち、雙津峡温泉までの
約6kmに、愛・地球博で会場内輸送に活躍した車両を
使ったトロッコ遊覧車が運行されています。

この時に乗ってみたかったのですが、時間の
やりくりが出来ず、この時は諦めました。

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