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三木鉄道は兵庫県南部を走っていた
特定地方交通線の旧国鉄の三木線を
引き継いだ第三セクターの鉄道でした。
営業区間はJR加古川線との接続駅・厄神から
三木まで僅か6.6kmの路線でした。
三木鉄道の前身は、1916年(大正5年)に
厄神 - 別所間 5.3kmを開業させた播州鉄道です。
翌年、播磨鉄道は三木まで路線を伸ばし、その後
戦時中の1945年(昭和18年)に国有化されます。
1985年には第三セクターの三木鉄道となりましたが、
乗客数が年を追う毎にどんどん減少し、
2001年には乗客数は第三セクター転換時の
半分以下に落ち込んでしまっていました。
その後、2006年1月の三木市長選挙で
三木鉄道廃止を公約に掲げた市長が当選し、
2008年4月1日に、予定を早めて三木鉄道は
廃止になってしまいました。
この"三木線"にはまだ国鉄時代だった
1979年に乗車した事があったのですが、
この三木鉄道の廃止が伝えられたので、
2007年10月に三木城登城に合わせて
乗車することにしました。
28年ぶりの乗車です。
国鉄時代からの古い駅舎です。
三木駅は、三木の町の中心部から800m程
離れていて、このアクセスの不便さが
乗客数が伸びない理由の一つとされていました。
ひっそりとした三木駅の様子。
発車の10分程前の様子ですが、
他には1〜2名の乗客がいるだけで
駅舎の中は静まり返っていました。
駅舎の前で待機中の三木鉄道の
レールバスです。
ピンクとスカイブルーの明るい塗色で、
この時から半年後に活躍の場を
失ってしまうにはもったいない車両です。
静かだった車内も三々五々乗客が乗り込み
10:37定刻に発車しました。
のどかな播州平野に所々
住宅が建つ景色の中を走ります。
発車してすぐに別所に到着しました。
別所は、三木城主だった
別所氏ゆかりの地でしょうか。
戦国末期、秀吉との三木合戦で自刃した
別所長治公のお墓もこの近くにあるそうです。
このあたり、のどかな平野が広がっています。
刈り入れされた田圃が車窓に広がっていました。
400年ほど前に凄惨な戦いが行われたとは
とても思えない風景です。
三木鉄道は営業キロわずか6.6kmの路線ですが
起点の厄神、終点の三木を含め9つの駅があり、
一両編成のレールバスは、こまめに
駅に停まって行きました。
勾配もない平坦な地形は
鉄道にとっては好ましいものですが、
三木鉄道の場合は路線延長が6.6kmと短く
高校生は自転車通学をしてしまうので
これも三木鉄道には痛手だったようです。
三木鉄道のレールバスの車内です。
廃止が決定されて3ヶ月程経った頃ですが
鉄道ファンの姿も少なく、閑散としていました。
やがて、架線の張られた車両基地が見えてきました。
JR加古川線の線路も見えてきました。
三木鉄道の路線に比べると、
とても立派に見えてきます。
列車の終着駅、厄神ももうすぐです。
厄神駅に到着した三木鉄道のレールバスです。
三木から厄神まで僅か13分の列車の旅でした。
僅かばかりの乗客を運んでいた三木鉄道は
2008年4月1日に廃止となり、92年の
歴史の幕を閉じてしまいました。
三木線廃止を公約に掲げて当選した市長が
行った市民アンケートの結果では、
廃止賛成が70%にも上ったそうです。
この結果、予定を3ヶ月以上も
繰り上げられて廃止されたようです。
三木線の赤字を負担する住民の選択が
この結果では廃止も止むを得なかったと
思いますが、本当にこれで良かったのか、
という思いは残ります。
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