多賀城
TagaJyo, Japan







多賀城は、8世紀に陸奥国府が
置かれた多賀城史跡で有名です。

陸奥国府の多賀城は、724年(神亀元年)に築かれ、
10世紀半ばまでの200年以上に亘って置かれていました。

現在の多賀城は、仙台市の東に位置し、
その国府跡を含む地域が市域になっています。
人口は約6万人で、仙台市のベットタウン的な街です。

この多賀城には、国の特別史跡となっている
多賀城史跡はじめ、いくつもの史跡があります。

2009年10月に多賀城史跡を再訪した際に
いくつかの史跡を訪れてみました。

その様子を紹介します。


多賀城史跡の様子はこちらです。






館前遺跡



仙台からJR東北本線の電車に乗り、
多賀城史跡の最寄駅・国府多賀城で下車しました。

駅から多賀城史跡に向かいます。



駅を出てすぐのところに案内板があり、
ここが館前遺跡でした。

この館前遺跡は9世紀前半の遺跡で、
四面廂付建物あったそうです。


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四面廂付建物は、多賀城正殿など
限られた建物に用いられた様式の様で、
この館前遺跡は、多賀城の国司の
建物と考えられているようです。

遺跡跡はしっかり整備されていました。



整備された遺跡の中に石があったのですが
当時の建物の礎石なのでしょうか。



遺跡の外れには土を盛ってありましたが
これも土塁跡のように見えてきます。



館前遺跡から眺める東北本線の電車です。



遺跡のすぐ前を線路が通っています。





多賀城廃寺跡



館前遺跡から多賀城址を散策した後、
再び国府多賀城駅に戻り、その南にある
多賀城廃寺跡を訪れました。





多賀城廃寺跡は、東北歴史博物館の
東側の緩やかな丘陵地にありました。



この多賀城廃寺も奈良時代に建立され、
国府だった多賀城の付属寺院だったようです。

塔や金堂、講堂・中門などが並び、七堂伽藍を
備えた本格的な寺院だったようです。



塔と金堂が東西に向き合う伽藍配置は
法隆寺伽藍配置といい、古い形式のものです。

大宰府にある観世音寺と同じ伽藍配置です。

大宰府の様子はこちらです。


多賀城廃寺跡に残る中門の基盤跡です。



中門を抜けると左右に金堂と
塔の基盤が整備されていました。



左が金堂、右の一段高い基盤が塔の跡です。
塔の部分の礎石です。



復元されたものなのか、当時のものが
残っているのかは判りませんでしたが、
中央部には塔の芯柱を支える礎石もありました。

塔の基盤の上かな眺める金堂跡の様子です。



この日は、小学校の遠足があったのか
多くの小学生も、多賀城廃寺に来ていました。

金堂と塔の奥にあった講堂跡です。



周囲や寺院跡に木々が生い茂っているので
それ程広い感じはしないのですが、当時は
周囲に塀が巡らされていた事を考えると、
寺院としての規模もかなり大きかったと思います。

現地にあった復元予想図です。



この図を見ると、多賀城廃寺は、
当時は法隆寺を彷彿とさせるような
壮大なお寺だったように思います。




上の写真は、多賀城廃寺の北の端に
位置している僧房跡の様子です。





東北歴史博物館



多賀城廃寺跡の西隣には 東北歴史博物館があります。



1999年に開館した宮城県立の博物館です。

このモダンな博物館の脇に、
江戸時代の民家が移築されていました。



民家ながらこの今野家は肝煎の役職を
務めた家柄だったそうで、冠木門もありました。


こちらが母家です。



今は懐かしい囲炉裏が焚かれていました。



茅葺屋根を虫食いから防ぐには
この囲炉裏が欠かせないという事です。

囲炉裏の灯りが幻想的な感じでした。



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