喜多方
Kitakata, Japan






喜多方は会津盆地の北端にある街です。
この喜多方は蔵の街で知られています。

大学時代に一度、喜多方を訪れた事があるのですが、
2006年12月の南東北旅行の際に
この蔵の街に立ち寄ってみました。

磐越西線の乗車記はこちらです。

駅の観光案内所でパンフレット付きの
地図を入手し、街歩きに出発です。

駅前のレンタサイクル屋さんで、
荷物を預け自転車で街を廻りました。

喜多方の蔵の街は、駅から北に向かい、
一本東側の「ふれあい通り」と、
その600m更に東側を南北に走る
「おたづき蔵通り」沿いの南町、
そして、「おたづき蔵通り」を北に向かい
街外れの三津谷地区の3箇所に分かれています。


駅からの道を右に折れ、300m程先を
曲がった「ふれあい通り」に入ると
それまでの地方都市然たる街並に
急に古びた蔵が現れました。



この煉瓦造りの蔵は国の有形文化財にも
指定されている若喜商店レンガ蔵です。
喜多方で初めての煉瓦造りの蔵ということです。

このあたりから古びた商店街となり、
所々に蔵が姿を現しています。



これは、街並みに蔵が現れるようになり、
しばらく行ったところにある「蔵見世」です。

明治中期に建てられた蔵ですが、
道路際の蔵が取り壊されてその姿が
通りから見えるようになったそうです。


この蔵見世から少し北に行ったところを
右に折れると大和川酒蔵の建物が見えて来ました。



蔵には、金賞受賞の看板が掲げられていました。
ここは古い酒蔵の中を無料で見学する事が出来ます。

お店の人に声を掛けて中を見学させてもらいました。
静かな蔵の中はひんやりとした雰囲気です。
お酒に関する展示物を足早に見学してると
薄暗い蔵の中に一升瓶のお酒が
展示されているコーナーがありました。



係りの人が付いている訳でもない蔵の中に
商品を展示しておくのは無用心の様な気もしますが、
この辺りではそんな不心得者はいないのでしょう。

それにしても、薄暗い蔵の中でライトに
当てられたお酒はとても美味しそうです。
発送もして頂けるということで、
辛口のお酒をお土産に買いました。


再び「ふれあい通り」に戻り北に向かいます。
アーケードのある通り沿いに
古びた醤油屋さんを見かけました。

中の越後屋醤油店です。



ところで、喜多方にはなんと4,100もの蔵があるそうです。
蔵の数がこれ程多いのは、飯豊連峰からの
伏流水と会津盆地で採れた米で出来る
お酒や味噌、醤油の醸造に蔵が適していた事と、
1880年(明治13年)に喜多方を襲った大火災で
蔵の耐火性が見直された結果だそうです。

細い路地に沿って建つ蔵の様子。



しっとりとした景色で、
とても風情を感じました。

「ふれあい通り」を更に北に進みます。
下の写真は金田洋品店の煉瓦造りの蔵です。



喜多方の街の北の外れ近くの
甲斐本家蔵屋敷を目指しました。



甲斐本家は幕末に酒蔵を始めた初代吉五郎を祖とし
三代目の時に鞠製造、製糸業で財をなしているそうです。
味噌・醤油の醸造業を始めた四代目吉五郎の代の
大正初めに、この蔵屋敷が建てられたのですが、
完成まで7年の年月をかけ、豪華な造りとしたようです。



黒漆喰の蔵屋敷は規模も大きく、
また有料公開されている蔵屋敷の内部は
豪華な造りになっていました。
意外にも洋風の室内もあったのですが、
これは大正期に造られたためでしょうか。


甲斐本家の蔵屋敷を見学した後、
「ふれあい通り」を南に少し戻り、
金田洋品店の角を左に曲がり、
「おたづき蔵通り」沿いの南町を目指しました。

途中で趣のある神社を見かけました。



この神社は出雲神社です。
この会津の地にあって、
出雲と何か縁があるのでしょうか。


そして、おたづき通りに到着です。
小田付(おたづき)は芦名時代に出来た村で、
蒲生時代に市がたった町だそうです。



アーケードもある「ふれあい通り」に比べ
この「おたづき通り」は、ひっそりとした佇まいです。
この小田付の蔵は明治中期に建てられたもので、
当時の様子が伝わってきます。



喜多方では、40歳になるまでに
蔵を建てられなければ男の恥とまで言われ、
皆が競ういあうように蔵を建てたそうです。



通り沿いに色々な蔵が並ぶ喜多方は
街のどこからか誇りが漂っているようでした。


そして、喜多方といえばラーメンです。
街歩きを終え、駅に戻って
ラーメン屋さんでお昼を摂りました。

喜多方の街歩きを終えた後、
昼過ぎの列車で猪苗代に向かいました。

磐越西線の乗車記はこちらです。
猪苗代の旅行記はこちらです。



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