屋島
Yashima, Japan





屋島・談古嶺から屋島古戦場を望む



屋島は高松市の東、3kmほどにある
標高293mの小高い山です。

山頂部が平坦で、遠くから見るとまさに
家の屋根のような形をしています。

この屋島は、いわずと知れた源平合戦の戦場となったところです。


2004年5月、高松琴平電鉄に乗った際、
足を延ばして屋島に行ってきました。
高松琴平電鉄 志度線の様子はこちらです。



琴電屋島駅を出ると目の前に
屋島の山が迫っています。



屋島は南北に長い山なので、山の南側の駅からは、
屋根型の山容は窺い知ることが出来ません。

よく見ると山肌を登るケーブルカーの姿が見えています。
この屋島ケーブルカーで山の上に上りました。

琴電の駅から坂道を歩いて5分ほどで、麓の登山口駅に着きました。
古ぼけた駅舎は人影もまばらで、ひっそりとしていました。



ケーブルカーの発車は20分おきでした。

駅に着いた時には発車したばかりだったので、
所存無く次ぎの発車を待っていたのですが、時間になると、
地元の人と世間話していたおじさんが改札をしてくれました。

そして、僅かばかりの乗客を乗せて発車。

急勾配を登るとともに、高松方面の視界が開けてきました。



高松市街の眺望を楽しむうちに、山上駅に到着。
広い山頂の名跡をどうやって辿ろうかと思っていたところ、
駅前のお店でレンタサイクルを見つけ、
これで山頂を一回りすることにしました。

緩やかな下り坂の快適な散策路を走り、
源平古戦場展望台から談古嶺へと向かいました。

300m弱の標高ですが、眺めは素晴らしく、
小さな入り江を隔てた八栗山の景色が広がっていました。



「屋島の戦い」は、この小さな入り江で行われたようです。

当時は、入り江が写真右手奥まで入り込んでいて、
義経が弓を流したという伝説の「弓流しの跡」も
那須与一が扇の的を射落としたという場所も
今は住宅街の中にあるようです。

そして、平家が主力の何千もの船を隠し、
源氏の屋島本陣襲撃に備えていたという「船隠し」は
写真左手、八栗山の裾野が海に届くあたり、
緑の森が生い茂っているあたりだったようです。

明るい五月の青空の下では、1000年近くもの昔に
多くの兵士が命を落とした凄惨な戦いの様子を
思い浮かべることは出来ませんでした。

こんな時はいつも、タイムトラベルをして、
その当時に行ってみたいという衝動に駆られます。


人気の無い、この素晴らしい眺望の談古嶺から
自転車を更に進めると、屋島の南の嶺と
北の嶺を分ける鞍部に出ました。



散策路は、北嶺へと繋がっていましたが、
鞍部で瀬戸内海の、この景色を楽しんだだけで
山の西側の展望台、獅子の霊展望台に向かいました。

屋島ドライブウェーの山頂駐車場の近くを通り、
観光客の姿も急に多くなり、お土産物屋さんも増えてきて、
ようやく観光地らしくなると、獅子の霊展望台です。



ここからは、瀬戸内海の島影と、
高松市街の様子が一望出来ます。

一番近い島影は、桃太郎が鬼退治に出掛けた
鬼が島といわれる女木島と思います。
高松駅近くのビル群や、遠く讃岐富士と思しき山も見えました。

ここから程近いところに、屋島寺があります。



754年に創建された四国霊場第84番札所の古刹です。
丁度ツツジが満開で、輝くように咲いていました。

このお寺の近くには、血の池と呼ばれる小さな池がありました。
屋島の戦いに勝った源氏の兵士が、刀についた血を洗ったら、
池が真っ赤な色に変わったという、言い伝えがあるそうです。


5月とは言え、日差しの強い日でしたが、レンタサイクルのおかげで、
素晴らしい景色の屋島めぐりをのんびりと楽しむ事が出来ました。

ところで、屋島への往復に利用した屋島ケーブルなのですが、
残念なことに、'04年10月15日で運行を休止していて、
'06年7月1日での廃止が決定したそうです。

山頂駅前の、レンタサイクルを借りたあのお店、
今はどうなってしまったのでしょうか・・・
それに、ケーブルもレンタサイクルも無くなってしまえば、
遠来の個人旅行者には、この素晴らしい景色の
屋島の散策を楽しみことは、なかなか出来にくくなってしまいそうです。



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