琴平
Kotohira, Japan






琴平は「こんぴらさん」の名で
全国に知られる金毘羅宮の門前町です。

高松から琴電で終点の琴平で下車し、
金毘羅宮を目指しました。
高松琴平電鉄 琴平線の様子はこちらです。


2004年5月、ゴールウィークの休暇のことです。


琴電・琴平駅を出ると、まず目に付くのが高燈篭です。
その名の通り高さ27.6mのこの燈篭は
日本一高い灯篭とのことです。



なんでも、その昔は瀬戸内海を航行する
船からもこの灯篭を見ることが出来、
船で行き行き来する人が、この灯篭を
目印に金毘羅さんを拝んだということです。


街中を流れる金倉川に沿ってしばらく歩き、お土産屋や
旅館、食堂が軒を連ねる門前の街並みに入りました。



金陵の郷という歴史を感じさせる立派な酒屋を抜け
これもまた昔ながらの佇まいの
うどん屋さんでまずは腹ごしらえです。



金毘羅さんは、琴平の町を包むように聳える
標高521mの象頭山の中腹にあり、奥の院までは、
1368段の急な階段を登らなければなりません。

お店の人の話では、往復で1時間半程かかるとのことです。
腹ごしらえして、荷物を預かってもらって、さあ出発です。

すぐに、平地が尽き、急な階段が続きました。
急な階段に沿って、アーケードの下にお土産物屋さんが
立ち並びちょっと変わった光景です。

アーケードが尽きると、金毘羅宮の境内の入口を示す
大門の立派な門構えが見えてきました。



今日は天気も良く、気温も30℃近くまであがり、
すでに汗が噴出しています。


下の写真は、大門から眺めた境内の様子です。
灯篭の並ぶ参道が続いています。



本殿の遷座を祝す黄色の幕と新緑の緑が
マッチして、とても目に鮮やかです。

境内を入ってすぐ、大きな日傘と緋色の台を構え
飴を売っている5人の女の人がいました。

五人百姓としてガイドブックにも載っていて
古くから神事に使えた5人お百姓さんが
境内での営業を認められたのが興りだそうです。


しばらく平坦な参道を歩きますが、
再び階段が現れると旭社です。

ここから急な階段を登っていくと、
本宮の荘厳な屋根が見えてきました。



金毘羅宮はガイドブックによると
大物主神と崇徳天皇を祀っており、
もともとは五穀豊穣の神様だったそうです。

江戸時代になると、海上安全のご利益が
あるとして評判が立ち、それ以降は海の
神様としても崇められているようです。

本宮の左手にある絵馬堂には
船舶の安全に関わる多くの絵馬があり、
太平洋単独横断航海をした堀江健一さんの
マーメード号も絵馬堂に奉納されていました。

琴平駅前の高燈篭も、海の神様に航海の安全を願う
船頭さんにとっては大切な目印だったんでしょう。


そして、本宮の展望台からは、讃岐平野の展望が開けていました。



遠くに讃岐富士も見え、今日は霞んで見えませんが、
空気の澄んだ日には瀬戸内海もくっきり見える筈です。


展望台を吹き抜ける風で汗がひいてきたのですが、
ここから更に奥社まで行くことにしました。
本宮までの階段数は785段。
奥社までは更に583段の階段です。

本宮までは、参拝客も多いのですが、
ここからは行き交う人も少なくなってきました。

噴出す汗と久しぶりの山道の歩きで脚が疲れ、
引き返そうかと思ううち、ついに奥社に辿り着きました。



山深い緑の中の朱塗りの社がとても映えています。

そして、奥社からの眺め



さすがにここからの眺めは抜群です。
琴平の町や、讃岐平野の様子が本当に箱庭のようです。

高松から乗ってきた琴電の電車や
土讃線の特急「南風」が走っているのも
手に取るように見え、楽しかったです。


奥社から麓まで戻り、疲れてはいましたが、
旧金毘羅大芝居の「金丸座」に向かいました。



1835年、江戸時代末期の天保6年に建てられた
現存する芝居小屋としては、我が国最古のものだそうです。

多くの参拝客で賑わった琴平の往時を伝える建物のようです。
この建物は今も現役で、歌舞伎が行われているようです。



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