宇土は熊本県中部、熊本市のすぐ南、
戦国時代末期に小西行長が宇土城を築き、
2011年5月、八代城を訪れた後に宇土を訪れ、
宇土城は宇土高校の南西の丘の上に築かれていました。
上左の写真は高札場があったところで、
枡形の道の東にあった光国寺の山門です。
2011年にこの辺りを散策した時には古い建物も
この先で、小路が緩やかにカーブを描き、
この辺りは江戸時代に細川藩の江戸屋敷在住の
古い建物は残っていませんでしたが、
この後、街中の目抜き通りを歩いて北東に向かいました。
小西行長が築城した宇土城は、関ヶ原の戦いで
しかし1646年(正保3年)には肥後藩の支藩として
宇土陣屋跡から北に向かい船場の石橋を目指しました。
長さは13.7m、幅4.1mの石造単一アーチ橋です。
石橋の架かる船場川も落ち着いた佇まいです。
川の畔には井戸と小さな祠がありました。
井戸は地下水を汲み上げるものではなく、
船場の石橋の脇には古い長屋門もありました。
船場川に沿って遡ると、板塀の屋敷がありました。
宇土
Uto, Kumamoto
宇土半島付け根の街です。
江戸時代には、陣屋が置かれていました。
宇土城、中世宇土城に登城した後に
宇土の街を散策しました。
中世宇土城の登城記はこちらです。
城下町はその東側に広がっていたようです。
撮影: 2011年5月
近くには小路が折れ曲がった
桝形の名残もありました。
撮影: 2011年5月
多かったのですが、2016年の地震の影響でしょうか、
その多くが今は残っていないようです。
垣根が続く町並みがありました。
武士が、参勤交代の廃止後に本拠地の宇土に
戻って建てた屋敷があった所だそうです。
撮影: 2011年5月
情緒ある通りでした。
宇土市民会館の向かいの公民館から教育委員会の
建物の辺りに江戸時代に陣屋があったようです。
撮影: 2011年5月
敗れた小西行長が斬首された後は加藤清正の
支城となりましたが、1637年(寛永14年)に
廃城になっています。
宇土藩が成立すると、宇土には陣屋が置かれました。
撮影: 2011年5月
船場の石橋は、船場川に架かる石橋で、
1780年に架けられています。
撮影: 2011年5月
熊本県にはこうした石造アーチ橋が各地に残っています。
その様子は別ページに散策記をまとめています:
しかし、以前はこの船場川は汚れていたのを
今見る綺麗な川に復活させたそうです。
撮影: 2011年5月
撮影: 2011年5月
江戸時代に造られた轟泉水道の井戸でした。
この轟泉水道は日本最古の水道の様です。
撮影: 2011年5月
船場の石橋の北側の一角は、宇土陣屋の
有力な候補地になっていたようです。
撮影: 2011年5月
宇土のこの辺りはとても趣のある一角でした。