吉見百穴
Yoshimi 100 Caves, Japan







吉見百穴は、東武東上線東松山駅から
東に20分程歩いた所にあり、
市野川を越えたところに広がる丘陵地に
無数の横穴が開いている史跡です。

明治以降に発掘調査が行われ、
古墳時代後期に死者を埋蔵する
墓穴として作られたものだそうです。

この吉見百穴のすぐ近くには戦国時代の山城、
武州松山城があり、このお城に行った際に
吉見百穴にも立ち寄りました。


駅前から真っ直ぐに続く道を歩き、
市野川に架かる橋を渡ります。



市野川は、埼玉県の中央部を流れていて
この市野川流域には、戦国時代に
いくつもの山城が築かれています。

橋を渡った右手には武州松山城があり、
その武州松山城の丘を右手に見ながら
橋を渡って左手の道を歩いていきました。

武州松山城の登城記はこちらです。



道の右手、武州松山城の丘に
へばりつく様なお堂が見えてきました。

岩室観音堂です。



岩を掘り抜いて観音像を祀ったお堂ですが、
その起源は古く、810年〜820年の
平安時代初期と言われているそうです。

代々の松山城主が庇護していたそうですが
1590年(天正18年)の秀吉軍が松山城を
攻め滅ぼした際にお堂も焼け落ち、
現在のお堂は江戸時代の1661年〜1673年の
寛文時代に再建されたものだそうです。

岩室観音の石仏です。



四国八十八カ所巡りのお寺の本尊を模した
88体の仏像が祀られ、この仏像を拝めば
四国八十八箇所巡りと同じ功徳が得られると
言われているようです。


この岩室観音を過ぎてしばらく
行ったところに吉見百穴がありました。

丘陵地に露出した岩肌に
いくつもの横穴が開いています。



死者を埋蔵する墓穴ということですが、
初夏の強い日差しの下では
その印象は薄く明るい雰囲気です。

この吉見百穴の横穴にはヒカリゴケが生息
していて国指定の天然記念物になっています。
ヒカリゴケは中部以北の山岳地帯に生息していて
関東平野に生息しているのは珍しいそうです。

横穴を覗いてみたのですが、緑の光を
放つという苔の様子は判りませんでした。


この吉見百穴の奥には、戦時中の
地下軍需工場跡もありました。



吉見百穴と武州松山城の丘陵地の地下に
大きな洞窟が掘られ、縦横に繋がっています。

中に入る事も出来るのですが、不気味な感じです。
松代の大本営跡地を思い出しました。

松代の様子はこちらです。


地下軍需工場跡を見た後、
再び吉見百穴に戻りました。

3箇所ほど階段があって、百穴のある
丘陵の上まで行くことが出来ます。

死者が埋葬された玄室を間近に眺める事が出来ます。



一つの玄室には複数の人が埋葬されていたそうです。
家族単位で埋葬されていたとの案内もありました。



吉見百穴の玄室を眺めながら
丘の上まで上ると、眺望が開けてきました。



秩父の山々です。
とても明るい初夏の日差しでした。



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