富岡・旧官営富岡製糸場
Tomioka, Japan
富岡は高崎から20km程西の山間にある街です。
この鄙びたところに日本で最初の近代工場、
官営富岡製糸場が建てられました。
明治5年(1872年)10月4日の事だそうです。
上信電鉄に乗った折、上州富岡で下車して、
この旧官営富岡製糸場を訪れてみました。
上信電鉄の旅行記はこちらです。
旧官営富岡製糸場は上州富岡駅から歩いて
10分ほどのところにありました。
明治5年に創業したこの官営の工場は
明治26年に民間に払い下げとなり、
その後数社の経営を経て、昭和13年から
片倉工業(株)が所有しているそうです。
歴史の長いこの工場も昭和62年に操業を停止。
それ以来、片倉工業がこの由緒ある
工場跡を整備・保存しているそうです。
この日は特別外観見学会が開催されていて
工場の敷地内に立ち入ることが出来ました。
工場の事務所前のテントで受付を済ませ、
地元のボランティアの方の説明で、
敷地内を案内して頂きました。
入った正面が東繭倉庫です。
赤いレンガの大きな建物です。
長さ104.4m、幅12.0m、高さ14.0m。
妙義山系で切られた太い木を33cm角に切り出し、
建物の骨格にしているそうです。
その木の骨格に嵌め込むように
赤い煉瓦が詰まれています。
この建物の様式や製糸の技術は
フランスから導入されたそうです。
その中心人物はポール・ブリューナー。
13名ものフランス人技術者を連れ、
この明治政府の一大事業に力を尽くしたそうです。
これは、西繭倉庫です。
この二つの倉庫に、近郊の農家から
運び込まれた繭を保存し、
選定していたそうです。
工場の中庭に綺麗な松が植えられていて、
工場跡という雰囲気ではありませんね。
これは、当時の事務所。
奥の白い建物に、13名のフランス人
技術者が暮らしていたそうです。
東繭倉庫と西繭倉庫の南側に、
二つの倉庫を繋ぐように操糸場がありました。
昭和62年に操業を止めた時まで使われていた、
機械が建物の中にそのまま置かれていました。
シーンと静かな工場跡ですが、耳を澄ましていると、
当時の賑やかな機械の音が聞こえてくるようでした。