下館
Shimodate, Japan




下館は関東平野の東北部にあり、藤原魚名が
781年(宝亀12年または天応元年)に上館、中館、下館の
3つの館を築いた事に由来するそうです。

1478年(文明10年)には水谷勝氏が下館城を築城し、
水谷氏4代がこの領地を治め、江戸時代には
下館藩が成立しています。





下館は平成に入り、周辺の町村と合併し
筑西市になっていますが、筑西という
名前ではどこの町かピンときません。

下館の西隣は結城市、南は下妻市があります。

結城の散策記はこちらです。



2010年2月、下館城を訪れた際に
下館の街を散策した内容を紹介します。





上羽黒神社



下館駅から真岡鐡道の普通列車に乗り、
一駅乗った下館二高前駅で下車しました。

線路の東側の下館の集落に向かいます。
下館城を目指して歩きだしたのですが、
寄り道をして上羽黒神社に向かいました。



この上羽黒神社は、下館城の初代城主・水谷勝氏が
1481年(文明13年)に出羽国の羽黒神社を勧請したものです。

鳥居の脇に、いくつかの石碑が朝陽を受けていました。



いずれも昭和に入ってから建てられたものですが
とても新鮮な眺めでした。


上羽黒神社の拝殿と本殿です。



1618年(元和4年)に修復された記録が残るそうですが
この社殿はその時に修復を受けたままの姿でしょうか。


勝氏は、下館城の鬼門や風門、天門など7ヵ所に
羽黒神社を建て、七羽黒神社と呼ばれています。

この上羽黒神社は、城の搦手の天門の位置にあたります。



2月に入ったばかりでしたが、
境内には紅梅も咲いていました。





定林寺



上羽黒神社から道路を渡り、
東に向かうと古いお寺がありました。



下館城主・水谷氏の菩提寺、
玉叟山・定林寺です。

この定林寺も上羽黒神社と同じく
1481年(文明13年)に創建されています。



立派な山号額が山門に掲げられていました。

水谷勝氏が下館城を築いたのが1478年(文明10年)なので
城下を整備するのに、4年程掛かったのでしょうか。
関東地方はこの頃まで、古河公方と堀越公方とに二分した
享徳の乱があり、この戦乱の影響もあった事と思います。


境内には、第7代下館城主・水谷勝俊公が
1567年(永禄10年)に寄進した銅鐘がありました。



立派な本堂です。



定林寺がこの地に移されたのは
江戸時代に入った1630年(寛永7年)の事です。

往時の本堂は茅葺の豪壮な構だったそうですが
1880年(明治13年)に焼失してしまったそうです。


境内にあった石碑です。



黒ずんだ石碑の文字は読むことが出来ませんでした。
かなり古い時代のものと思います。



下館城主だった水谷氏のお墓もありました。





下羽黒神社



定林寺を訪れた後、下館城址を訪れ
その後、南に下って行きました。

下館城の登城記はこちらです。

次に訪れたのは下羽黒神社です。
上羽黒神社と同じく、1481年(文明13年)に
水谷勝氏が建立した神社です。

こちらは羽黒神社の境内にある愛宕神社です。

この愛宕神社は、羽黒神社が勧請された際に
既にこの土地にあって信仰を集めていたそうです。



この拝殿は下羽黒神社の
拝殿を移築したものだそうです。


愛宕神社の東側に
下羽黒神社の社殿がありました。
この本殿は茨城県の文化財に指定されています。



七羽黒神社の中心となる神社です。
境内の広さは6,000坪を越えたそうです。

下館城主・水谷氏の尊崇も篤く
武運長久や領民安泰を祈願したようです。


お参りした後に、南に伸びる参道を歩きます。



下館城のある北側から神社に来たので
裏口から入って表に抜ける形になりました。



神社の名を刻んだ立派な碑が
青空に映えていました。





妙西寺



下羽黒神社から、更に南下し、下館駅を目指しました。
駅の西側に妙西寺というお寺があります。

車の通りの激しい道路沿いの
土手のすぐ上に山門がありました。



門は歴史を感じさせるものですが、
市街化された時に境内が
削られてしまったのでしょうか。

妙西寺は元々は善陽寺といい真言宗のお寺だったそうですが、
戦国時代末期の1588年(天正14年)に、第6代下館城主の
水谷政村が母親の冥福を祈って開山し、
曹洞宗に改宗したお寺です。



本堂が新しいな、と思っていたのですが、
1766年(明和5年)と1971年(昭和46年)に
火災にあって伽藍や本堂が焼失し、
1973年(昭和48年)に再建されたものです。


この妙西寺には加波山事件志士の墓がありました。



加波山事件というのは知らなかったのですが、
1884年(明治17年)に、国会も開催していなかった
明治政府に反し、民権家志士16名が決起し
加波山の山頂に自由立憲の旗を掲げた事件です。

決起は失敗し、7名が死刑になっています。

時は流れ、2015年現在は自由な世の中ですが
今の政権は第二次世界大戦前の世の中に
戻そうとしているように思えます。

こうした尊い犠牲の上に勝ち得た今の自由な世の中も
いつ、脆くも崩れ去ってしまうか判りません。


妙西寺前の道には、いくつもの幟が立ち賑やかでした。



この坂道は巽坂と呼ばれ、坂の下には
巽二十三夜尊の地蔵仏が立っていました。



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