大多喜
Ootaki, Japan








大多喜は房総半島のほぼ中央部にある町です。
1590年(天正15年)に、徳川家康が江戸に移封になった際、
徳川四天王の一人・本多忠勝が10万石を得て、
お城を築いたところです。

江戸の初期の頃、大多喜城は一時廃城となり
城も荒廃したようですが、その後再び藩が置かれ
大多喜は城下町として栄えたようです。





2009年11月に、大多喜城を訪れた際に
大多喜城の町を散策しました。

いすみ鉄道の乗車記はこちらです。
大多喜城の登城記はこちらです。


藩祖・本多忠勝のお墓や古い家も残り
大多喜の町歩きは楽しいものでした。





城下町通り



いすみ鉄道の大多喜駅から北に向かうと
四ツ門公園がありました。



駅前からの通りと、街の東側を走る
主要道路との交差点のところです。

ここは城内から数えて四つ目の
門があったという事です。
本多忠勝が大多喜城を再築城した際の
町割りで出来たものだそうです。

ここから城下町通りを南に向かうと
古い商家がいくつもありました。



この二軒のお店、かなり古風な造りですが、
印刷所と手芸屋さんです。

この二軒の古い商家の向かいに
国の重要文化財の建物がありました。

江戸時代末期の1849年(嘉永2年)に
建てられた渡辺家住宅です。



建てられた当時は茅葺だったようですが、
それ以外は当時の趣をよく残しています。

残念ながら内部は公開されていないようでした。


こちらも文化財に指定されている商家です。



伊勢幸という屋号の酒屋さんです。
後で調べて判ったのですが、この屋根瓦は、
大手門のものを流用して作られたそうです。

こちらは土蔵造りの商家です。



車も通る通りですが、歩いているとこうした
商家がいくつも眺められ、楽しい散策です。


この通りの一角に商い資料館がありました。



「商いと城下町のくらし」をテーマにした資料館で、
土蔵造りの建物を大改造したという事です。





寺町通り



大多喜町の城下町通りの中ほどに
商い資料館があります。





この資料館の脇に石畳の小路があります。



この小路が寺町です。
商家が幾つも並ぶ城下町通りも趣があったのですが
その名に惹かれて、この小路に入って行くことにしました。

小路を入ったところにある桜谷寺です。



調べてみると本多忠勝が母の為に
開基したお寺だそうです。

このお寺には町の重要文化財になっている
石造りの地蔵菩薩がありました。



その地蔵様のお堂です。
桜谷寺の隣には医光寺がありました。



狭い小路に沿って続く白壁がいい趣でした。

ちなみに、大多喜町の観光パンフレットによると
この辺りの地名は"根古屋"となっています。

根古屋は山城の麓にの城主の館の地名なので、
ひょっとすると戦国時代にはこのあたりに
城館があったのかも知れません。


この先で、夷隅川の畔に行ってみました。



シンボル塔のやぐらです。
その脇を流れる夷隅川。



大多喜の城下町を取り囲む様に流れ、
当時は、この夷隅川が大多喜の
守りを固めていた事でしょう。

このシンボル塔から再び寺町通りに戻ります。
通りの南側にあった正福寺です。









本多忠勝墓所へ



寺町から再び城下町通りに戻りました。
南に向かって歩いて行くと、城下町通りは
クランク状に曲がっています。





このところに造り酒屋のお店がありました。



国の文化財に指定されている豊之鶴酒造です。
江戸時代に創業した老舗で、現在の建物は
1874年(明治7年)に建てられたものだそうです。



銘柄の大多喜城と書かれた暖簾と
大きな杉玉がとても印象的でした。


ここから城下町通りは南に向かいます。
こちらは大屋旅館です。



この旅館も江戸時代から続いているそうです。
この建物は1885年(明治18年)頃のものです。

大屋旅館のすぐ脇に建つ赤い鳥居。



この鳥居は夷隅神社のものです。

この辺りまで来ると大多喜の町並みは
途切れ、田園風景も広がってきました。



遠くに大多喜城の模擬天守も眺める事が出来ます。



古い建物が残る城下町を歩いていて、
遠くに天守の姿を眺められるのは、
不思議に感慨を覚えます。

大多喜城の登城記は
こちらです。


大多喜城の天守を眺め、町の南外れにある
本多忠勝所縁の良玄寺に向かいました。



本多忠勝は、1590年(慶長15年)に大多喜に
移封されると菩提寺として良信寺を開きます。

その後、本多忠勝は桑名に移封になりますが、
大多喜藩3代藩主の甥の本多政朝がお寺の
名前を良玄寺と改名したそうです。

良玄寺にある本多忠勝のお墓です。



本多忠勝は桑名で亡くなり、そこで葬られていますが
大多喜に分骨し、葬られているという事です。

両脇には正室の於久の方と二代藩主・
本多忠朝のお墓もありました。


現在の大多喜の基盤を築いた本多忠勝は
この地で今も慕われているようで、
良玄寺の隣には本多忠勝公園もありました。



良玄寺から東に向かった、夷隅川に架かる
行徳橋の袂には銅像もあるようですが、
それは見落としてしまいました。


この良玄寺で大多喜の散策を終え、
いすみ鉄道の大多喜駅に戻りました。

その途中で訪れた夷隅神社の社殿です。



いつ創建されたのか記録は残っていないそうですが
最も古い社殿の再建の記録は1041年(長久2年)の事で
古い歴史がある神社です。

歴代の大多喜藩主も篤く信仰したそうです。



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