尾張横須賀は名古屋の南に位置する
以前は伊勢湾に臨む漁村でしたが、今では
江戸時代には尾張徳川家の第二代藩主・
この尾張横須賀は、私の生まれた町です。
2011年に、毎年9月の第四日曜日に行われる
尾張横須賀の町の東側を名鉄常滑線が走っています。
駅のすぐ前が旧国道155号線です。
運よく「どんでん」を見る事が出来、少し
東海市は知多郡上野町と横須賀町が
町役場跡は市の文化センターとなっており、
市の文化センターから旧国道155号線に戻り、
南北に走る道が旧247号線で、三菱UFJ銀行のある
久しぶりに尾張横須賀に来ると、昔あった商店の
その四つ角で、先ほどの本町の山車が
山車の中にはお囃子隊が乗っていて、笛や
本町の山車は1842年(天保13年)に造られたもので、
三菱UFJ銀行の四つ角から更に西に進むと
子供の頃、祖父母の家を訪れた際には
この同盟書林の角を北に曲がると
横須賀祭りは、この愛宕神社の
祭礼の起源は、横須賀御殿に訪れた徳川光友公の
しかし、その時代に祭礼が行われた記録はないそうです。
愛宕神社の近くには北町の山車蔵がありました。
そしてこちらは公通組の山車蔵です。
こちらは大門組の山車蔵です。
横須賀祭りでは、この4つの山車が引き回されます。
愛宕神社から同盟書林まで戻ると、
同盟書林前の交差点でも「どんでん」を
多くの人達について山車の後を追ってみました。
ここで本町の山車は小休止しています。
こちらは公通組の八公山車です。
やがて大門組の山車もやってきました。
尾張横須賀
Owari-Yokosuka, Aichi
愛知県東海市にあります。
海岸線は埋め立てられ、製鉄所などが
建ち並ぶ工業地帯になっています。
徳川光友公が、御殿を築いています。
三歳の時に岡崎に引っ越ししたので、
出身地というと岡崎と答えていますが、
子供の頃には尾張横須賀の祖父母の
家に行っていたので、懐かしい所です。
横須賀祭りの日に、久しぶりに訪れました。
その際の様子を紹介します。
40年ほど前は、4両編成の電車が集落の間を縫うように
走る路線で、尾張横須賀駅も島式の狭いホームが
あるだけの小さな駅でしたが、1992年に高架化され
立派な駅になっています。
撮影: 2011年9月
尾張横須賀の目抜き通りの一つです。
丁度お囃子が聞こえ、山車が駅の近くで
「どんでん」と呼ばれる方向転換をしていました。
撮影: 2011年9月
戻って旧横須賀町の役場跡に行きました。
1969年に合併して成立しています。
撮影: 2011年9月
その近くに本町の山車蔵がありました。
先ほど見た山車がその本町の山車です。
100m程西に向かうと、交差点に出ます。
この交差点が尾張横須賀の町の中心だったところです。
撮影: 2011年9月
多くが店を畳み、家々が軒を連ねていた通りも
駐車場となっている所もありました。
再び「どんでん」を行っていました。
撮影: 2011年9月
太鼓の音が最高潮に達すると掛け声と共に
山車がぐるりと一回転しました。
白地の幕に金糸で刺繍された松と鶴が印象的です。
山車には絡繰り人形もあり、その様子も必見です。
同盟書林の四つ角に出ました。
撮影: 2011年9月
この同盟書林の角までが行動範囲で、
古い特徴的な建物は懐かしいものでした。
愛宕神社がありました。
撮影: 2011年9月
秋の例祭として行われています。
旅情を慰める為に始まったという伝承があるようです。
それでも、18世紀初めの享保年間には祭礼が行われて
いたようで、200年は続く歴史があるそうです。
撮影: 2011年9月
公通組は八公山車と円通山車の二つを
持ち、毎年交互に引き回すようです。
撮影: 2011年9月
撮影: 2011年9月
再び本町の山車に出会いました。
撮影: 2011年9月
行い、そして西に向かって行きました。
撮影: 2011年9月
本町の山車は、横須賀の町の西を南北に
走る道に出て、右に折れて行きました。
この辺りは、昭和の初めまでは海だった所です。
撮影: 2011年9月
すると、次々に他の組の山車がやってきました。
撮影: 2011年9月
その向こうには北町の山車もいつの
間にか集まって来ていました。