刈谷
Kariya, Aichi


刈谷は、愛知県のほぼ中央部、三河地方の西端にあり、
境川を隔てて、尾張の緒川と向き合っています。

トヨタ自動車系列の部品メーカーの多くが
刈谷に本社を構える自動車産業都市で、
トヨタ自動車も刈谷が発祥の地だそうです。

現在の市の人口は15万人。
刈谷駅の一日の乗降客数は約7万人で、
豊橋 - 米原間の東海道本線としては、
名古屋、金山に次ぐ利用客数です。

戦国時代には、水野氏宗家の水野忠政が
刈谷城を築き、緒川から刈谷に本拠を移します。
徳川家康の生母・於大の方は水野忠政の娘で、
刈谷城から岡崎城の徳川広忠に嫁ぎました。

工場や新興住宅地も多く広がる刈谷ですが、
残された古い町並みや史跡を紹介します。

刈谷城
(Ruins of Kariya Castle)

椎の木屋敷跡
(Shiinoki-Yashiki)

重原界隈
(Shigehara Area)
Nov. 12, 2019

重原陣屋
(Ruins of Shigehara-Jinya)
NEW ! Nov. 14, 2019
半城土界隈
(Hanjyodo Area)
Nov. 05, 2019

半城土古城
(Ruins of Hanjyodo Castle)
Nov. 07, 2019

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重原界隈
(Shigehara Area)

重原地区は、刈谷駅東側の微高地に広がる集落です。
江戸時代、刈谷は刈谷藩が治める土地でしたが、
この重原地区は、東北の福島藩の領地でした。

重原の集落も古くからの集落らしく、
落ち着いた佇まいでした。


撮影: 2011年5月

集落の中には、江戸時代の長屋門と
思われる建物もありました。


撮影: 2011年5月

集落の中に浄福寺がありました。

案内板によると文武天皇の時代 (707 - 715) の創建です。
12世紀半ばの戦乱で焼失し、廃寺となりましたが、
1710年(宝永7年)に再興したお寺です。


撮影: 2011年5月

この浄福寺の境内の脇に重原陣屋の碑と、
「是より東福島領」の碑が立っていました。


撮影: 2011年5月

刈谷藩では寛政時代(1789 - 1801)に一揆が起き、
その処分として、福島藩と一部の領地を交換する
という処分が下ったようです。

今の行政区分とは違い、江戸時代の藩には
多くの飛び地があったのは知っていましたが、
このように東北地方と東海地方の間でこうした
飛び地があったら、交通の便の悪かった当時は
その管理が特に大変だったことと思います。

重原の陣屋跡から刈谷駅に向かう際に、東海道本線の
線路を超え、刈谷児童公園の方に立ち寄ってみました。

ここには宮城道雄の供養塔があります。


撮影: 2011年5月

宮城道雄は、「春の海」の作曲者としても知られる
箏曲家ですが、1956年(昭和31年)6月25日未明、
演奏旅行の為に、寝台急行「銀河」で東京から
大阪に向かいましたが、刈谷駅手前で走行中の
列車から転落し、亡くなっています。

この転落死の原因は不明とされていますが、
宮城道雄は、幼いころに失明しており、
誤ってトイレの戸と列車のデッキの扉を
間違って開けたとも言われています。

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半城土界隈
(Hanjyodo Area)

半城土は刈谷市の東部、刈谷市の中心部からは、
刈谷市を北東から南西に流れる猿渡川を
渡ったところにあります。

JR東海道本線の野田新町駅が半城土の
最寄り駅でここから歩いて向かいました。


撮影: 2011年5月

駅から5分程で、半城土の集落に着きました。

半城土の集落にはいると、
十応寺がありました。

黄檗宗のお寺だそうですが、今は無住となり、
半城土の地区で管理しているそうです。


撮影: 2011年5月

このお寺の建物は、重原陣屋の
玄関が移築されたそうです。

神社の社務所の様な建物が本堂で、
陣屋の玄関なのでしょうか。

十応寺の斜め前に願行寺がありました。


撮影: 2011年5月

願行寺の創建は慶長年間と伝わるそうです。
西暦では、1596年から1615年の間になります。
山門は、重原陣屋の門を移築してるそうです。


撮影: 2011年5月

六地蔵の並ぶ境内はひっそりしていました。
願行寺を辞する際、山門の向こうに、
先ほどの十応寺の門が見えていました。


撮影: 2011年5月

願行寺から半城土の集落を北から
南へと横切り、天満宮に行きました。


撮影: 2011年5月

この天満宮の歴史は古く1044年
(寛徳元年)の創建だそうです。

この天満宮は半城土の集落のある微高地の端に
位置しており、南側は石段が続いていました。

天満宮から再び半城土の集落を歩きました。


撮影: 2011年5月

古びた家も多い集落です。
集落の北側に近い勝宝寺に向かいました。


撮影: 2011年5月

勝宝寺の鐘楼の脇に案内板があり、
ここが半城土古城の跡と記されていました。

この辺りは、"ジト"という地名があるそうですが、
城といっても地頭の館があったという事です。


撮影: 2011年5月

勝宝寺の北側の田畑は少し窪地になっていて
ここが堀跡ではないでしょうか。


撮影: 2011年5月

勝宝寺を訪ねた後に、猿渡川を渡り、
重原陣屋のある集落へと向かいました。

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