御殿場は、富士山の麓に広がり、箱根や
明治に入り、東海道に鉄道がしかれた当初、箱根の山を越えるのに
最近は、アウトレットモールでもその名を聞くようになりました。
そんな御殿場ですが、その名の謂れは
1615年(元和元年)、徳川家康が、江戸と駿府(今の静岡)を往来する際の
この御殿が御殿場の地名の由来になっています。
その御殿が建てられたのが、御殿場駅から北に
上の地図は現地案内板のものです。
二箇所の赤い印が御殿の建物を示していますが、
吾妻神社へは富士霊園行のバスに乗り、
吾妻神社の境内には、御殿場発祥の地の碑がありました。
吾妻神社の南隣には、高尾山穂見神社があります。
吾妻神社のすぐ北には御殿場高校があります。
ここも御殿跡に建っています。
この御殿跡から北東に2km程行くと、戦国時代に
その途中、富士山がとても綺麗に見えていました。
深沢城は、曲輪跡が残るのみでしたが、
大雲院の山門は深沢城の大手門を移築したものでした。
そして、御殿場の街の東側には箱根の外輪山が南北に続いています。
この外輪山の中腹にはいくつかリゾートホテルが建っています。
夕暮れ、街の明かりが灯り、富士山が
この北側には、古来の街道として用いられた
御殿場
Gotenba, Shizuoka
富士山観光の拠点として発展した町です。
人口は8.5万人ほどです。
国府津から北に迂回し、この御殿場を通過し、沼津に至っています。
この区間の急勾配を超えるのに下りは国府津から、上りは沼津から
補機が連結され、その補機をこの御殿場で切り離していました。
あまり知られていないのでは、と思います。
宿泊所、あるいは隠居所となる御殿の造営を命じた事に始まります。
その建物は、家康の生前には建てられませんでしたが、その翌年に、
沼津の代官だった長野九左衛門清定が芹澤将監に御殿新町
御屋敷の造営を命じる書状が残っているそうです。
2km程の御殿場高校や吾妻神社辺りと伝わります。
南北が逆になっていて、上の地図右側の足利街道が、
御殿場から足利駅へと向かう県道にあたると思います。
左側の赤い印が、今の吾妻神社にあたります。
撮影: 2012年5月
仲町のバス停で下車します。
仲町バス停から徒歩3分程です。
撮影: 2012年5月
ここも御殿跡に建っています。
撮影: 2012年5月
撮影: 2012年5月
家康の命で建てられることになった
御殿はかなりの大きさだったようです。
今川氏が16世紀半ばに築城した深沢城があります。
撮影: 2011年12月
撮影: 2011年12月
15分ちょっと南に歩くと大雲院に辿り着きました。
撮影: 2011年12月
関東大震災で倒壊したものを1950年(昭和25年)に
復元したものだそうです。
撮影: 2011年12月
撮影: 2011年12月
そのホテルからは富士山がとても綺麗に眺めることが出来ます。
撮影: 2017年11月
シルエットになる景色も素晴らしいものでした。
撮影: 2013年8月
足柄古道の足柄峠もあります。
この峠からの富士山も素晴らしい眺めでした。