御殿場
Gotenba, Shizuoka


御殿場は、富士山の麓に広がり、箱根や
富士山観光の拠点として発展した町です。
人口は8.5万人ほどです。

明治に入り、東海道に鉄道がしかれた当初、箱根の山を越えるのに
国府津から北に迂回し、この御殿場を通過し、沼津に至っています。
この区間の急勾配を超えるのに下りは国府津から、上りは沼津から
補機が連結され、その補機をこの御殿場で切り離していました。

最近は、アウトレットモールでもその名を聞くようになりました。

そんな御殿場ですが、その名の謂れは
あまり知られていないのでは、と思います。

1615年(元和元年)、徳川家康が、江戸と駿府(今の静岡)を往来する際の
宿泊所、あるいは隠居所となる御殿の造営を命じた事に始まります。
その建物は、家康の生前には建てられませんでしたが、その翌年に、
沼津の代官だった長野九左衛門清定が芹澤将監に御殿新町
御屋敷の造営を命じる書状が残っているそうです。

この御殿が御殿場の地名の由来になっています。

その御殿が建てられたのが、御殿場駅から北に
2km程の御殿場高校や吾妻神社辺りと伝わります。


上の地図は現地案内板のものです。
南北が逆になっていて、上の地図右側の足利街道が、
御殿場から足利駅へと向かう県道にあたると思います。

二箇所の赤い印が御殿の建物を示していますが、
左側の赤い印が、今の吾妻神社にあたります。


撮影: 2012年5月

吾妻神社へは富士霊園行のバスに乗り、
仲町のバス停で下車します。
仲町バス停から徒歩3分程です。

吾妻神社の境内には、御殿場発祥の地の碑がありました。


撮影: 2012年5月

吾妻神社の南隣には、高尾山穂見神社があります。
ここも御殿跡に建っています。


撮影: 2012年5月

吾妻神社のすぐ北には御殿場高校があります。


撮影: 2012年5月

ここも御殿跡に建っています。
家康の命で建てられることになった
御殿はかなりの大きさだったようです。

この御殿跡から北東に2km程行くと、戦国時代に
今川氏が16世紀半ばに築城した深沢城があります。

深沢城の登城記はこちらです。


撮影: 2011年12月

その途中、富士山がとても綺麗に見えていました。


撮影: 2011年12月

深沢城は、曲輪跡が残るのみでしたが、
15分ちょっと南に歩くと大雲院に辿り着きました。


撮影: 2011年12月

大雲院の山門は深沢城の大手門を移築したものでした。
関東大震災で倒壊したものを1950年(昭和25年)に
復元したものだそうです。


撮影: 2011年12月

そして、御殿場の街の東側には箱根の外輪山が南北に続いています。


撮影: 2011年12月

この外輪山の中腹にはいくつかリゾートホテルが建っています。
そのホテルからは富士山がとても綺麗に眺めることが出来ます。


撮影: 2017年11月

夕暮れ、街の明かりが灯り、富士山が
シルエットになる景色も素晴らしいものでした。


撮影: 2013年8月

この北側には、古来の街道として用いられた
足柄古道の足柄峠もあります。
この峠からの富士山も素晴らしい眺めでした。

足柄古道の散策記はこちらです。

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