須坂
Suzaka, Japan


信州・善光寺平の東に須坂という町があります。
長野から長野電鉄で志賀高原への玄関口、
湯田中に向かう途中、千曲川の鉄橋を渡って、
最初の停車駅がこの須坂です。

江戸時代、須坂のあたりは天領や
須坂藩の領地だったそうです。

その須坂に米穀・麻・酒造などの生産と
流通を扱う豪商が台頭し、この須坂の町に
蔵造りの建物が沢山残されたそうです。

また幕末から明治にかけては、
製糸業でも栄えたそうです。

須坂駅を出て東に向い、
須坂の街中に向かいました。

長野電鉄の乗車記は こちらです。

横町中央の交差点を越えると道の両脇に
白壁の蔵造りの建物が並ぶようになりました。


撮影: 2011年10月

この小路は"蔵の町並み"と呼ばれているようです。
上右はその入り口にある須坂クラシック美術館、
上左はその先の蔵のまち観光交流センターです。

蔵のまち観光交流センターは、明治中期に建築され
製糸業隆盛時には、繭蔵として使用されていました。
須坂クラシック美術館の建物は元牧新七の邸宅で、
母屋、上店、長屋門と土蔵の4つの建物が
全て残っているそうです。

この先にも何棟もの蔵造りの建物がありました。


撮影: 2011年10月

古い蔵造りの建物が並ぶ中に、
須坂教会もありました。


撮影: 2011年10月

中町の交差点を左に折れたところにある 綿幸の店舗です。


撮影: 2011年10月

上右の写真の右側に写っている建物は 旧小田切住宅です。
糀・油・蚕糸を営んだそうです。
今は、内部が公開されているようです。

中町の交差点を東に進みます。
八十二銀行の向かいの建物です。


撮影: 2011年10月

こちらは浦野酒鋪です。


撮影: 2011年10月

須坂には酒造場や酒屋さんが多いようで、
そのすぐ先にも塩屋醸造店がありました。


撮影: 2001年12月

白壁の堂々とした造りのお店です。
中には入らなかったのですが、6棟もの
味噌蔵があり、中を開放しているそうです。

浦野酒鋪店のある新町交差点まで戻り、
南に向かうと、旧上高井郡役所がありました。


撮影: 2011年10月

この建物は1917年(大正6年)に建てられ、1926年(大正15年)
までは現役でしたが、その後は長野県の出先機関などに
使われ、2006年(平成18年)に須坂市に譲渡されたそうです。

この南側に奥田神社があります。
この奥田神社が江戸時代の須坂藩の陣屋跡になります。


撮影: 2011年10月

豊臣秀吉の家臣・堀秀政の家老であった堀直正の
四男・堀直重が1615年(元和元年)に1万2千石で
須坂藩を立藩し、明治の廃藩置県まで堀氏が
藩主を務めていました。

須坂陣屋の登城記は こちらです。

須坂陣屋跡から西に向かうと遠藤酒蔵店があります。


撮影: 2011年10月

ここも白壁の堂々とした造りのお店です。
この建物は旧須坂藩の奥付門を移築したそうです。

街並みの到る所に蔵造りの建物が現れ、
楽しい待ち歩きです。

遠藤酒蔵店から更に南下し、
街並みの向うに小高い山が見えてくると
街道沿いに蔵で囲われた
大きな屋敷が現れました。


撮影: 2001年12月

北信随一の豪商、田中屋本家の建物です。
100メートル四方もの広い敷地の
周囲が蔵で囲われています。
正面は堂々とした門構えです。

ここは博物館になっていて、田中屋本家に伝わる
書画や陶器を展示する博物館になっていますが、
年末に訪れた際は休館日になっていました。

田中屋本家の博物館の先に
黒い趣のある門が建っていました。


撮影: 2001年12月

真宗本願寺派の名刹、普願寺の表門です。
参道を歩いて行く先にある普願寺には
堂々とした本堂と鐘楼がありました。
昨晩積もったのでしょうか、足跡も
ついていない雪が境内に積もっていました。

普願寺の前の道は、白壁の塀が続き、
京都の哲学の道を彷彿とさせる雰囲気です。


撮影: 2001年12月

2001年に須坂を訪れた際、田中屋本家博物館は
生憎休館で、桜で知られる臥竜公園を訪れる
時間の余裕もなく、又いつか訪れたいと
思っていました。

しかし、2011年に須坂を再訪した際にも
訪れることが出来ませんでした。
またの機会はあるのでしょうか。

駅への帰りに、しっとりとした
趣の路地に入り込みました。

青木屋小路というそうです。


撮影: 2001年12月

蔵造りと土壁の建物に挟まれた小さな路地。
何気ない路地にも昔懐かしい面影が残る
須坂の街の象徴のような路地でした。

本上町公会堂から須坂駅に戻る道でも
古い町屋が残っていました。


撮影: 2011年10月

古い町並みが残っていた須坂ですが、googleの
ストリートマップを見ると、訪れてから10年以上
経ち、町並みの佇まいも変わっているようです。

2021年8月に町並み保存に向けた伝統的建造物群
保存地区保存条例が制定されています。

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