大垣
Ohgaki, Gifu


大垣は、濃尾平野の北部に位置し、岐阜県第二の都市です。
揖斐川と支流の杭瀬川に囲われた土地に市街地があります。

江戸時代には大垣藩が置かれ、美濃街道の宿場町もありました。
明治以降は関ヶ原を控え、鉄道の要衝地としても栄えています。

意外なことに、というと大垣には失礼ですが、
松尾芭蕉の「おくのほそ道」の結びの地になっています。

2012年3月に養老鉄道に乗車し後に大垣を訪れ、
大垣城と大垣の街を散策しています。

養老鉄道養老線の乗車記はこちらです。
大垣城の散策記はこちらです。

大垣駅〜本町〜京口門跡

大垣駅は鉄道の要衝で、JR東海道本線、養老鉄道、樽見鉄道の
駅が集まり、東海道本線も大垣で列車系統が分かれています。
名古屋方面の快速電車の起点になっていて、東海道本線の
電車の車両基地も置かれています。


撮影: 2012年3月

一日の乗降客数25,000人ほどで、駅ビルも立派でした。
駅の周辺に、鉄道の街を象徴するように、貨物列車に
かつて連結されていた車掌車が展示されていました。


撮影: 2012年3月

この大垣駅前から南に向かうと大垣城があります。
大垣城は江戸時代に大垣藩の藩庁が置かれたお城です。
今では、本丸が残るだけですが、お城の周囲には
当時の史跡がいくつか残っています。

大垣城を訪れた後、お城の東側に向かいました。

大垣城の散策記はこちらです。


撮影: 2012年3月

大垣城二之丸の東にあたる交差点の角に井戸がありました。
「大手いこ井の泉」という自噴井戸です。
大垣は、市内にこうした自噴の井戸が
数多くあり、水の都としても知られています。

先ほどの自噴井戸からブラツキ通りという
通りを東に向かうと東大手門跡があります。


撮影: 2012年3月

大手門という名前の喫茶店の脇に碑が建ち、喫茶店の
隣から奥に入った廣嶺神社の脇に馬の像がありました。
ちなみに大垣城には東と南の二つの大手門がありました。

大手門跡のすぐ東には煎餅屋さんがありました。
このお煎餅屋さんは、当時の大垣宿の脇本陣でした。


撮影: 2012年3月

大垣は、江戸時代美濃街道の宿場町でもありました。
美濃街道は、熱田の宮宿から垂井宿に至る街道です。
街を東西に横切っていた美濃街道ですが、大垣城の東側では
北から南へと大垣城を迂回し、大垣城の南を通っていました。

脇本陣跡から100m程南に向かうと、本町道標があります。


撮影: 2012年3月

この碑が建つ場所は美濃街道と竹鼻街道の接続地点で、
道標には、左右に江戸と京が示されています。

本町道標から更に100m程南には問屋場跡がありました。
問屋場は、宿場で備える人馬の継立を行っていた所です。


撮影: 2012年3月

この問屋場跡から美濃街道は西に向きを変えています。
その先に、本陣跡があります。


撮影: 2012年3月

この本陣跡には1878年(明治11年)に明治天皇が宿泊し、
明治天皇行在所跡として史跡になっています。

本陣跡から西に行った所にある和菓子屋さんです。
大垣は、綺麗な湧き水で造られる和菓子、特に
水まんじゅうが有名で、いくつも和菓子屋さんがあります。
愛嬌のある人形のディスプレイが楽しかったです。


撮影: 2012年3月

先ほどの和菓子屋さんから100m程西に行った所に
大垣城西総門だった京口門跡がありました。


撮影: 2012年3月

ここは大垣城の外堀と大垣城の西を流れる
水門川の合流地点に築かれていました。

船町港跡〜圓通寺

美濃街道は京口門跡から水門川に沿って南に下ります。
水門川沿いに立つ船町道標です。


撮影: 2012年3月

そのすぐ南に船町港跡があります。
ここは水門川の川湊だったところで、江戸時代には大垣と
伊勢を結ぶ物資と人の行き来を支える重要な拠点でした。


撮影: 2012年3月

塔のような建物は、住吉燈台です。

船町港の標識と夜間の目印として元禄年間(1688〜1704年)に建てられました。
住吉燈台の横の水門川には川舟が浮かべられ、当時の情景を再現しています。


撮影: 2012年3月

住吉燈台の対岸には松尾芭蕉の像がありました。


撮影: 2012年3月

この船町港は、芭蕉の「おくのほそ道」の結びの地です。
1689年(元禄2年)の秋の事でした。

蛤の ふたみにわかれ 行く秋ぞ

芭蕉が大垣で詠んだ句です。
芭蕉は、「おくのほそ道」の旅を終えると、
この船町港から船に乗り桑名に向かいました。

船町港跡で美濃街道と別れ、水門川に沿って北に向かいました。
川を眺めていると、大きな盥に乗った人が川を下ってきました。


撮影: 2012年3月

この年、たらいで水門川を下るイベントが、3月末に予定されていて、
この日はその予行演習でもしていたのではないでしょうか。
眺めていると、とても楽しそうでした。

水門川を遡り、10分程歩くと、圓通寺があります。


撮影: 2012年3月

圓通寺は、1635年(寛永12年)に戸田氏鉄が尼崎から大垣に
移封になった際、菩提寺の圓通寺を移築して創建されたものです。
この山門もその時に建てられ、現在の山門は天保年間
(1830〜1844年)に再建されたものだそうです。

境内に綺麗な梅が咲いていました。


撮影: 2012年3月

この圓通寺には、藩主だった戸田氏の廟所があります。
1635年(寛永12年)に戸田氏として初めて大垣藩主となった
戸田氏鉄から幕末の藩主・戸田氏共まで11代のお墓があります。


撮影: 2012年3月

陽が既に傾きつつある中、静かで厳かな廟所でした。

圓通寺で大垣の散策を終え、大垣駅に戻りました。
その途中、圓通寺の北にある大垣天満宮の
境内にも自噴水がありました。


撮影: 2012年3月

滾々と湧き出る水の量が多くて驚きました。
そして、その東側の大垣保健センターに
大垣藩校敬教堂跡の碑がありました。


撮影: 2012年3月

戸田氏8代藩主・戸田氏庸(うじつね)が、
1840年(天保11年)に学問所を創設しています。
その後、致道館、敬教堂と名前を替えました。
ここは、大垣城辰之口門跡のすぐ近くです。

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