足助は豊田市の東に位置していて、
以前は東加茂郡足助町でしたが、
2005年4月1日に豊田市に編入しています。
三河平野が尽き、三河山地の山間にある足助は
岡崎から信州へ繋がる中馬街道の
宿場町として栄えたそうです。
この足助には、古い町並みばかりでなく、
紅葉で有名な香嵐渓もあり、
また戦国時代の足助城も復元されています。
そんな足助の様子を紹介します。
足助宿場町 (Asuke Old Town)三河高原のページに 戻る
中部地方のページに戻る
Shane旅日記 日本編に戻る
足助宿場町
香嵐渓の入口の待月橋から国道を渡ると足助の街並みです。
岡崎から信州に向かう中馬街道の宿場町として
栄えた当時の雰囲気を今でも残しています。
中馬街道は、三河湾の塩を信州に運ぶ為の街道で、
三河湾から矢作川の水運で運ばれた塩を、足助で
荷直しし、足助からは馬で運んだそうです。
"中馬"というのは、江戸時代に、馬で荷を運ぶ
信州の人たちの組合の名称だったようです。
この建物は民宿・玉田屋です。
古い格子の建物が雰囲気を醸しだしています。
足助宿の入口の西町には、明治・大正期には
7軒の宿屋があったそうですが、今は
この玉屋が残るのみだそうです。
訪れた2月半ばの週末、雛飾りを展示していました。
玉屋から通りを東に進み、次の角で
北に向かうと足助商工会があります。
この地域の地場産業の支援活動を行っているのでしょうか。
この先で、足助川を渡り、足助の町の中心部へと向かいます。
足助川を渡り、最初の角を右に曲がると、
足助のメインストリートになります。
昔ながらのお店が軒を連ねています。
中には白壁のお店もあり、そのひとつがマンリン書店です。
その昔、よろず屋だった事からこの屋号がついたそうです。
このマンリン書店の脇の狭い小路に入ると、
白壁と黒い板塀の建物が両側に続き、
何十年も時間が戻った様な雰囲気になりました。
この趣のある小路の先には宗恩寺があります。
宗恩寺は足助の町を見下ろす高台にあります。
正面、やや左の山は足助真弓城のある真弓山です。
そして、右側の木々の生い茂った山が飯盛山です。
こちらには足助飯盛山城が築かれていました。
足助真弓山城の登城記はこちらです。
宗恩寺から、メインストリートに戻り、東に向かいました。
ひな祭りの時期、各お店で雛飾りが飾られ、
訪れる人で、町も賑わっていました。
下の雛飾りは、江戸時代末期のものだそうです。
鮮やかさはありませんが、綺麗な人形でした。
足助のメインストリートは、この先でT字路になります。
そのT字路を左に折れると、足助陣屋跡があります。
足助陣屋の登城記はこちらです。
足助の町並みは、T字路を左に折れた次の角を
右に曲がりると、更に東に続いています。
この界隈は田町と呼ばれています。
こちらの通りも、お店が続いていて、
雛飾りを訪ね歩く人で賑わっていました。
下の写真は、足助中馬館です。
足助中馬館は、かつての稲橋銀行足助支店で、
1912年(大正元年)に建てられた建物です。
銀行は1983年(昭和57年)に閉店となり、
建物は取り壊されて駐車場になる予定でした。
その後、「足助の町並を守る会」の有志が
資金を出し合い、この建物を護ったそうです。
中馬館の内部の様子です。
大正期の地方銀行の様子がよく残る建物で、
愛知県の文化財に指定されているそうです。
中馬館でも、雛飾りが展示されていました。
この先の莨屋です。
塩問屋の暖簾も掛かっていて、
江戸時代から続くお店の様に思います。
この先に、赤い鳥居がありました。
赤い鳥居の角の建物は、「アサヒビール」
という琺瑯の看板が掲げられています。
2012年2月に足助を訪れた際には、ここで引き返しました。
足助の街中には足助川が流れています。
川沿いの景色も印象的でした。
2012年2月に足助を訪れた際、散策の
終わりに足助八幡宮を訪れました。
足助八幡宮は、足助の集落の西側、香嵐渓の北に位置しています。
創建は飛鳥時代の天武天皇白鳳2年(673年)と伝わります。
本殿は、国の重要文化財に指定されています。
足助のページに 戻る
三河高原のページに 戻る
中部地方のページに戻る
Shane旅日記 日本編に戻る