大聖寺
Daishoji

大聖寺は、石川県南部の城下町です。

現在、福井県との県境になっている牛ノ谷峠を
控えた大聖寺は、古くから要衝の地だったようで、
南北朝の時代に城が築かれ、戦国時代も
加賀一向一機の拠点になっていたそうです。

江戸時代には加賀藩の支藩・大聖寺藩が置かれ、
錦城山の麓に陣屋が置かれ、その東側に
城下町が広がっていたようです。

大聖寺陣屋・大聖寺城の登城記はこちらです:
http://shanehashi.html.xdomain.jp/Oshiromeguri/KoshinetsuHokuriku/DaishojiJyo.html

2011年1月、東尋坊を訪れた後、北陸本線の
普通電車に乗って、大聖寺に向かいました。

東尋坊の様子はこちらです:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Travel/Japan/Chubu0/Tojinbo.html


大聖寺駅から実性院へ

この日は悪天候で、東尋坊で降っていた雨は
大聖寺では雪になっていました。

大聖寺駅前には古九谷焼き発祥の地の碑が立っていました。


撮影: 2011年1月

江戸初期に大聖寺で陶土が発見され、1655年(明暦元年)に
色絵磁器の古九谷が生み出されたそうです。
古九谷の名前はよく聞くのですが、その別名が
大聖寺焼きと言うのは知りませんでした。

駅前の道を左手にとり、南に向かいました。
生憎の天気で他に歩く人も見かけません。


撮影: 2011年1月

この先には石堂山から角助山といった
小高い山があり、その麓に、山ノ下寺院群と
呼ばれるお寺が密集している地域があります。

歩き出してすぐに蘇梁館という建物がありました。
この建物は、加賀橋立にあった北前船の船主・
久保彦左衛門の母家を移築したものです。


撮影: 2011年1月

久保彦左衛門は、加賀橋立の船主で最も大きく、
また現存の建物としては最古だそうです。
生憎この日は閉まっていました。

加賀橋立には2015年秋に訪れています。
後日、その様子を紹介しようと思います。

蘇梁館から道を渡ったところにあった蓮光寺です。


撮影: 2011年1月

本堂の柱には、金沢城の残材が用いられていますが、
訪れた際にはそれは知らずに、この写真を撮った
だけで、隣の実性院に向かってしまいました。


実性院と藩主廟所

蓮光寺の南隣には実性院がありました。
立派な門柱のある実性院は、厳かな佇まいです。


撮影: 2011年1月

この実性院は、大聖寺藩主・前田家の菩提寺です。
門柱の間を通り、本堂に向かいました。


撮影: 2011年1月

お正月の門松が飾られています。
秋には本堂の手前に咲く萩が知られているそうです。

降り続く雪が積もった石仏がありました。
とても、味わいある眺めでした。


撮影: 2011年1月

この実性院の坐禅堂には歴代藩主の位牌があり、
裏の山には、藩主廟所があるそうです。
雪の降り方が激しくなっていましたが、
石段を登って、廟所に行ってみました。

ここには大聖寺藩の藩祖・前田利治公から、
14代目の前田利鬯公までのお墓があります。


撮影: 2011年1月

石段を登り、鬱蒼とした林を抜け、廟所に辿り着くと、
そこは不思議と明るく照らされたようになりました。


撮影: 2011年1月

折からの雪も激しくなり、廟所は何か、不思議な
光で包まれたような神秘的な空間でした。


久法寺から全昌寺

実性院からは来た道を戻り、途中で左に折れて
山ノ下寺院群の寺院を訪ね歩きながら
大聖寺城址へと向かいました。

実性院に向かう途中に立ち寄った蘇梁館の
裏手辺りには、久法寺がありました。


撮影: 2011年1月

前を通る道が整備された際に、造り直されたのでしょうか、
新しい門が建ってました。


撮影: 2011年1月

久法寺は門の写真を撮っただけで、先へと進みました。
この先に大聖寺町並み景観広場があり、
その向こうに全昌寺がありました。


撮影: 2011年1月

全昌寺は、1600(慶長5)年の大聖寺城の戦いで
前田利長に滅ぼされた、山口玄蕃頭宗永の菩提寺です。

そして、松尾芭蕉が奥の細道紀行の際に
滞在したお寺としても知られています。


撮影: 2011年1月

境内には、芭蕉と曾良の句碑がありました。

"庭掃いて 出でばや寺に 散る柳"

この全昌寺には、芭蕉が泊まった前日に弟子の
曾良も泊まり、次の句を残しています。

"終宵 (よもすがら) 秋風聞くや うらの山"  曾良

全昌寺には五百羅漢像もありました。


撮影: 2011年1月

1867年(慶応3年)に造られた五百羅漢像は
517体全部が残っているそうです。


宗壽寺から加賀神明宮

全昌寺から更に北西に進みます。


撮影: 2011年1月

正覚寺の隔てた先には宗壽寺がありました。


撮影: 2011年1月

この宗壽寺の山門は大聖寺藩の
関所門を移築したものだそうです。

お寺の前に立派な石碑が立っていました。


撮影: 2011年1月

この関所門は、大聖寺藩が成立する前からあったそうです。
加賀一向宗が町の守りとして建てたものでしょうか。

宗壽寺の隣には本光寺がありました。
このお寺には、日本百名山の著者の
深田久弥氏のお墓があるそうです。


撮影: 2011年1月

本光寺の隣にあった加賀神明宮です。


撮影: 2011年1月

大聖寺の惣鎮守で、大聖寺藩が立藩する以前の
1616年(元和2年)にこの地に移されたそうです。

境内には神明宮と橋姫神社がありました。


撮影: 2011年1月

橋姫神社の社殿は、由緒ありそうな建物でしたが、
明治に入って織物組合の方によって創建され
現在の建物は、大正時代に建てられたものを
2006年(平成18年)に復元したそうです。

こうして山ノ下寺院群のお寺や神社を巡りながら
大聖寺城に向かいました。


撮影: 2011年1月

大聖寺陣屋・大聖寺城の登城記はこちらです:
http://shanehashi.html.xdomain.jp/Oshiromeguri/KoshinetsuHokuriku/DaishojiJyo.html

大聖寺城址北東の三谷川沿いにある江沼神社には、
重要文化財の長流亭があります。

大聖寺城址に登城した後に、この長流亭も
訪れたのですが、雪でカメラも曇ってしまい、
紹介出来ないのが残念です。

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