安曇野は、古代に現在の中国南部から九州北部に
到達した海人族の安曇氏が、その後この地に
移住した事によると言われています。
JR大糸線沿線の梓橋から信濃松川辺りに
かけてを安曇野と呼ぶ事が多いようです。
北アルプスの常念岳や上高地から流れ出した烏川や
梓川などが松本盆地に流れ出た際に造った扇状地が並び、
この地形が安曇野の景色を形作っているようです。
扇状地を流れる川の水が伏流水となって地下を
流れ、扇状地の端で湧水となって湧き出し、
その量は日に70万tonとも言われています。
綺麗な湧水を用い、多くのワサビ田が作られています。
またこの安曇野では、道祖神が多い事でも知られています。
2010年10月に訪れた際の様子を紹介します。
2010年10月19日、前日に松本に泊まり、この日の朝は
7:48発の大糸線の電車で穂高にやって来ました。
穂高の駅でレンタサイクルし、東に向かって進みました。
古い集落を抜けると、田圃が広がるようになり、
寄り道しながら30分近くかけて大王わさび農場に着きました。
この大王わさび農場は、1915年(大正4年)から開墾を初め、
1935年(昭和10年)迄の約20年をかけて作ったわさび田です。
今は、レストランも併設され、多くの観光客も
立ち寄る人気スポットになっています。
入場は無料で、敷地内に入ると、
わさび田をすぐに眺める事が出来ます。
低湿地に、水の流れが幾重にも築かれ、
その間にわさびが植えられています。
植えられたわさびの上には、直射日光を
防ぐ寒冷紗が覆えるようになっていますが、
この日は曇り空で覆いはされておらず、
わさびを直接眺める事が出来ました。
農場の中を歩いていると、ここでも道祖神を見かけました。
仲睦まじい夫婦の像です。
この先には、蓼川の流れがあり、その流れに沿って
いくつかの水車小屋が建っていました。
この景色は、とても印象的でした。
ここにずっと佇んでいたい気持ちになりましたが、
わさび田を巡った後に、また戻って来る事にして、
先に進む事にしました。
大王わさび農園のわさび田は、ほぼ南北の方向に
いくつかの区画に細長く分けられています。
このわさび田は北畑と呼ばれているようです。
平日の朝まだ早い時間だったせいか、他に訪れる人もなく
とても静かな景色が堪能できました。
わさび田とわさび田とを分ける土手の上に、
再び道祖神がありました。
この道祖神はどちらも仏像のようです。
この辺りの土手の上はアルプス展望台と呼ばれ、
晴れた日には北アルプスの山々が一望出来るようですが
この日は残念ながら雲に隠れてみる事は出来ませんでした。
再び、わさび田に沿って歩いていきます。
緩やかにカーブするこのわさび田は、
大王畑と名が付いています。
大王わさび農場のほぼ中央部を南北に貫いていて
メインのわさび田になっているようです。
わさび田の中ほどにある幸いの橋の袂には
神社もありました。
その昔、大和朝廷に対し、この地を護る為に戦った
魏石鬼八面大王(ぎしきはちめんだいおう)を祀る大王神社です。
元々は、大王わさび農場の東側にあったそうですが、
大王わさび農園を拓いた深澤勇一氏がここに祀ったのだそうです。
幸い橋を隔てた反対側には八面大王が最後に
立て籠もった岩屋が再現されていました。
大王神社から眺める幸いの橋です。
幸いの橋の南側にもわさび田が伸びていました。
この農場の面積は15ヘクタール、わさびの
収穫量は150トン/年にもなるそうです。
この後、先ほどの水車小屋のところに行ってみました。
うっすらと霧が掛かったような天気で、この辺り一帯が、
より一層深い森の中にいるような感覚に包まれました。
素晴らしいこの景観に浸っていましたが、
ここは1989年に黒澤明監督が撮影した
映画「夢」のロケ地にようです。
ゆっくりと回る水車の音が響き、清らかな
川の流れに梅花藻が揺らいでいます。
日本の原風景ともいえるこの光景を
独り占めする事が出来ました。
大王わさび農場から穂高駅に戻る途中、
ちょっと寄り道して、駅の北側にある
碌山美術館に向かいました。
碌山美術館の名前は知っていましたが、
ここが荻原守衛(碌山)という彫刻家の
個人美術館というのは知りませんでした。
敷地内に入ると、さっそく
碌山の彫刻が置かれていました。
荻原碌山は穂高出身の明治期の彫刻家で、
日本近代彫刻の扉を開いた人と言われているようです。
教会のチャペルのようなこの建物は
国の有形文化財に指定されています。
敷地内を歩いていると、煉瓦の壁に
文字が刻まれていました。
碌山美術館の建物とミュージアムショップと
なっているグズベリーハウスです。
碌山美術館は小さな美術館でしたが
趣のあるところでした。