熱海
Atami, Japan







熱海は、いわずと知れた温泉の街。
特に、東京から100km程の距離もあり、
関東の人には人気の高い温泉地のようです。

古くから温泉地として知られていたようで、
1604年(慶長9年)に徳川家康も
この熱海の湯に漬かったそうです。

熱海の町は、山に囲まれています。
熱海駅も山の中腹のような位置にあり、
駅前からの坂道を下ると、海が見えて来ましたが
海岸線をはるか下に見下ろすような景色でした。



東海道新幹線や東海道本線で何度も
熱海駅を通った事があったのですが、
駅の位置がこれ程、海から高い位置にあるとは
思わずに新鮮な光景でした。

坂道を下っていくとサンビーチと
呼ばれる浜辺に出ました。
上の写真で、坂の上から見えていた砂浜です。



日の光を浴びて輝く海を、のんびり
散策している人が絵になる光景でした。

熱海は三方を山に囲まれていて、
浜辺から海に落ち込む斜面に
観光ホテルが立ち並ぶ様子が見えています。



このサンビーチには、尾崎紅葉の「金色夜叉」に
出てくるお宮の松や寛一とお宮の銅像がありました。



このお宮の松は、初代が目の前を通る
車の排ガスで弱ってしまったので、
二代目になるそうです。

そして、寛一とお宮の銅像です。



この銅像のシーンは、寛一の許婚だったお宮が
富豪の許に嫁いだので、激怒した寛一が
問い詰めても、本心を明かさないお宮を
蹴飛ばしてしまうというものだそうです。

「金色夜叉」は読んだ事はないのですが
尾崎紅葉の代表作といわれていますが、
未完の作品だったようです。


サンビーチにはこれ以外にも
銅像や碑がありました。



写真左は釜鳴屋平七夫婦の銅像、
右は初島遠泳の記念碑です。

江戸末期の安政年間に、熱海の網元と漁師の間に、
まぐろ網漁の権利をめぐって争から漁民の一揆が起きた際、
一人の網元の息子・釜鳴屋平七は漁民側に立ち、
韮山の代官・江川太郎左衛門に訴状を出したそうです。

漁民一揆の首謀者とみなされた平七は捕らえ、
八丈島への島流しの刑を受けるのですが、
移送中の虐待で、途中の伊豆大島で
命を落としてしまったそうです。

平和な海岸にも昔には
そんな歴史があったのかと思います。

サンビーチの南側には、
ヨットハーバーがありました。



青い海に浮かぶヨットやボートの姿は絵になります。
不意に、フランスのサンマロで見た
ヨットハーバーを思い出しました。

サンマロの様子はこちらです。


ヨットハーバーを見下ろす堤防から
眺めた熱海の街の様子です。



こうした風景を見ると熱海が
リゾート都市というのが実感出来ます。
右の写真、丘の上にお城のような建物が
見えますが、これは完全な観光施設です。


熱海は三方を山に囲まれ海に
面しているので温暖の地です。

2月の半ばに熱海を訪れた際には、
街の中心の南側を流れ下る
初川に沿って、早咲きの桜が咲いていました。



この初川を遡ったところには
熱海梅園があります。

一月半ばから3月にかけて
梅祭りが行われているようです。
約100種、1000本も梅の木が
植えられているそうです。

これは寛一お宮の梅。



初川に沿った谷に、
幾重にも梅の花が咲いていました。




熱海駅を下った高台から眺めた熱海サンビーチは
夜にはライトアップされるようで、
後日その様子も眺めてみました。



青く照らされた浜辺が印象的でした。



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