松平郷
MatsudairaGo, Japan






松平郷は、愛知県豊田市の南東部、
岡崎市と足助を結ぶ足助街道の九久平から
東に4km程行った所にある小さな集落です。

足助の様子はこちらです。


三河山地のどこにでもある山々に抱かれた
小さな集落なのですが、ここが後の
徳川家康を生んだ松平一族発祥の地になっています。


足助街道に沿って流れる矢作川の支流・巴川。



トヨタ自動車の本拠地がある豊田市を
流れているとは信じられない程の清流です。

山里の九久平の交差点から
東に向かい山の中に車を走らせます。

松平郷に向かう途中の山里の様子です。



この先に、松平氏発祥の地があるのかな?
と、思えてくるほどの、のどかなそして
静かな山郷です。

やがて、立派な駐車場が現れ、
観光用の看板も見えてきました。

国道の入り口に駐車場があって
そこに車を停めて歩いて行こうと思ったのですが、
近くで工事をしていた人が、松平東照宮の近くまで
車で乗り入れられるから、是非そうしなさいと
薦めるので、散策がてら歩いて行くのを諦めました。


駐車場から東照宮に向かって歩いて
行くと東照宮を囲む堀が見えてきました。



松平東照宮は松平氏館跡に建てられた神社です。

そもそも松平氏は、時宗の遊行僧・徳阿弥が
諸国を流浪中にこの松平郷に入り、
土豪の在原信重の婿となって松平親氏を
名乗ったのが始まりといわれているそうです。

三代目信光の時に、家康の血筋に繋がる
松平宗家と、幕末までこの松平郷に居住した
松平太郎左衛門家と分かれたそうです。

松平氏館は、その太郎左衛門の屋敷です。
中世の豪族の屋敷跡らしく、方形の敷地の
周囲に堀を巡らせた縄張りになっています。

東照宮は1619年(元和年)それまで屋敷内にあった
八幡社に家康を合祀したものです。



立派な石の鳥居に堂々とした東照宮の本殿。
日光東照宮の様な煌びやかな建物ではありませんが
質素で堂々としたこの本殿は、この松平の地に
似合っていると思います。

東照宮の脇に八幡社があり、
徳川家康が岡崎城で生まれた時に
産湯を届けたという井戸が残っていました。



写真の右隅に写っているのがその井戸です。
葵の御紋がしっかり刻まれ、家康の権威を感じます。
石の蓋のある井戸はとても珍しいとのことです。

岡崎城の様子はこちらです。



東照宮の次には、松平家墓所のある
高月院に向かいました。



高月院に向かう道には
室町塀という土塀が並び
風情のある景色になっています。

その土塀の道の手前左手に入ったところに
松平家を興した親氏の像が建っていました。



現地の案内板によると松平親氏は
1394年(応永元年)4月に亡くなっています。
松平家の発祥は14世紀後半のようです。

当時の親氏の肖像画とかが残っているのか
どうかわかりませんが、引き締まった顔や
精悍な姿には、この山里に来て領袖となった
親氏のカリスマ性が感じられる像でした。

松平家のお墓は後に菩提寺となった大樹寺にもあります。
「わが街 岡崎」の大樹寺のページは こちらです。


土塀の内側には天下池や松平東照宮前にあった
見初めの井戸が移設されています。



また、その先にはあやめ園が作られていました。

見初め井戸は、松平親氏が高月院に向かう途中、
あやめの花に見惚れていたところ、水女姫が
井戸の水に一輪の花を添えて差し出したのが縁で
結ばれたという、いい伝えがあるそうです。


その見初め井戸とあやめ庭園を過ぎると
高月院の参道の土塀が見えてきました。



室町塀の浅黄色の壁に比べると、
こちらの方がのどかな風景に
いいアクセントになっています。

のどかなこの景色が松平郷で
一番気に入った風景です。

土塀で囲まれた参道を歩き、
本堂に向かいます。



山門の左手には、家康お手植えと
伝えられる枝垂桜がありました。


山門から振り返ってみた、
徳川家光寄進の将軍門です。



逆光を浴びて佇む将軍門も印象的です。


本堂の裏手に、松平家墓所があり、
初代・親氏、二代・泰親そして四代・
親忠夫人のお墓が並んでいます。



初代、二代と四代夫人という取り合わせがちょっと意外です。
三代目、四代目のお墓はどこにあるの?とか
何故、一緒の墓地に埋葬されていないのか?
という素朴な疑問に思いを馳せてしまいます。

きっと歴史的には、はっきり判っているとは思いますが、
神君・家康の血筋に繋がる家系として
あまり知られたくない事情でもあったのかな?
などと、素人は勝手に想像を巡らせる事が出来て
楽しかったりします。


高月院を訪れた後は、親氏の修行の場、
そして展望テラスに行ってみる事にしました。

高月院の辺りで平地は尽き、山が迫り、
山間の勾配も次第に急になって行きます。



2月の初めと言うのに梅の花が満開でした。
しばらく歩くと、僅かな耕地も着き、
鳥居が建っていました。



鳥居をくぐり、山道を登っていると、
大きな岩に押しつぶされそうになった
祠が建つ開けた土地が現れました。



ここが遊行僧・徳阿弥が松平の郷に来て
修行を行っていた場所のようです。

集落からそれ程離れてはいないのですが、
修行をするには絶好の、そして
厳かな雰囲気のする場所でした。


親氏修行の場から、さらに山道を
登っていくと展望テラスに出ました。

車も走れる道を歩き、坂道も
急ではなく丁度いいハイキングです。

展望テラスへの階段を上っていくと、
眼下に山間にひっそりと佇む
松平郷の集落が見えてきました。



春霞で視界が効かなかったのですが、
よく晴れた日は名古屋の高層ビルも見えるようです。


松平郷はこの日訪れた松平東照宮、高月院そして
松平城、大給城が国の指定史跡になっています。

松平城の登城記はこちらです。
大給城の登城記はこちらです。





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