ボン
Bonn, Germany






ボンは、その昔、ドイツが東西分裂していた時
西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の首都だった街です。

首都だったといっても、人口は30万人程。
ライン川に臨むケルンの南にある静かな街です。
そして、楽聖・ベートーヴェンの生まれた街としても
知られています。

フランクフルトからライン川に沿って走る路線で
何度もケルンに向かった事があるのですが、
ボンで下車した事はありませんでした。

ライン川沿いの鉄道乗車記はこちらです。


2007年秋、アーヘンに出張の機会があり、
その際にスケジュールに余裕があったので
念願のボンに行ってきました。

アーヘンの様子はこちらです。


ボンでは中央駅の駅前から歩いて行ける範囲に
色々な見所が固まっています。





ボン中央駅からまっすぐ北に向かうと、
ミュンスター広場に出ました。

肌色の中央郵便局の建物を背景に
ベートーヴェンの像が立っています。



ペンと五線譜を持ったベートーヴェンの像。
ボンの人達にとってベートーヴェンは
未だに誇りになっているのでしょう。

ミュンスター広場にはロマネスク様式の
ミュンスター寺院も建っていましたが、
まず、ベートーヴェンの生家、
「ベートーヴェン・ハウス」に向かいました。

ベートーヴェン・ハウスはボンの
中心部の北に位置していて
途中、マルクト広場を通ります。

マルクト広場に面して建っている
市庁舎(Rathaus)です。



18世紀半ば、ヴィッテルスバッハ選帝候の時代に
建てられたそうで、ロココ様式の建物です。
とても瀟洒な建物で、一見市庁舎には見えません。


マルクト広場には多くの露天商店が出ていました。






野菜や果物が山のように積まれた八百屋屋さん。
日本では八百屋さんはもう見かけなくなりました。


マルクト広場から更に北、やや狭い通りに、
ベートーヴェンハウスがありました。



Bonngasse 20番地。
1770年12月16日(または17日)この家で
ベートーヴェンは生まれました。

ベートーヴェン一家は、彼が生まれてから
5度ほどボン市内を引越ししたそうですが、
この家だけが現存しているそうです。

このベートーヴェン・ハウスは
博物館になっています。
ベートーヴェンはこの家の
屋根裏部屋で生まれたそうです。



家の中庭から見た、ベートーヴェンが
生まれた部屋の様子です。

ベートーヴェンハウスの近くには聖レミギウス教会
(St. Remigius Parish Church)がありました。

観光客もあまり訪れない小さな教会ですが
10歳のベートーヴェンはこの教会で
毎朝6時にオルガンを弾いていたそうです。


聖レミギウス教会からはライン川に近い
ラインガッセ24番地(Rheingasse 24)に向かいました。

ここは1776年からベートーヴェン一家が
住んだところという事です。



ラインガッセ24番地は見つけられなかったのですが、
蔦が紅葉しかかった家がありました。

ここからライン川は目と鼻の先ですが、
ライン川は靄ですっかり覆われていました。



ドイツの秋の早朝は、川霧がひどく
時々交通も影響が出るほどです。

ライン川の川船の乗船場です。



霧で運休になったのか
ひっそりとしていました。


ライン川からはボン大学に向かうと、
キャンパスは公園のように綺麗に
整備されていました。



キャンパスの中の樹木です。

その向こうに芝生が広がり、
宮殿のような校舎が見えていました。



ハイネやカール・マルクスそして、
新渡戸稲造 もここで学んだそうです。

校舎の内部には誰でも入れるようで、
少し歩き回っていました。

飾り気のない階段や廊下ですが、
どことなく絵になる校舎の様子です。



ここに絵が飾られていれば、
美術館に早変わりしそうです。

講義中なのかあまり人はあるいていないのですが、
怪しまれる前に校舎から外に出ました。

ボン大学の前にはミュンスター寺院が聳えていました。



先ほど、ベートーヴェンの像を訪れた際に
眺めた教会ですが、ミュンスター広場からの
眺めとは別の寺院の様でした。



900年もの歴史を有し、ドイツ最古の
教会の一つということです。

教会の内部は厳かでした。



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