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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



旧南海電気鉄道 貴志川線
(和歌山 - 貴志)
Previous Nankai Railway, Kishigawa Line
(Wakayama - Kishi)



乗車日:Feb. 12, 2005





かつて、JR和歌山駅から東に向かい貴志に至る、
延長14.3kmの南海電気鉄道の路線がありました。

1916年(大正5年)に山東軽便鉄道が大橋 - 山東
(現在の伊太祈曽)を開業させたのが始まりです。

1933年に東和歌山(現在の和歌山) - 貴志間の
全線が開業し、いくつかの会社を経て、
1961年に南海電気鉄道の路線となりました。
全長、14.3kmの路線です。



JR和歌山駅に乗り入れていて、
南海の他の路線とは接続していない、
ちょっと変わった路線だったのですが、
2004年の夏ごろ、この南海・貴志川線が
廃止になるという話がもちあがりました。

そこで、未乗のこの路線に乗る事にしました。
2005年2月の事です。


前夜にJR和歌山駅前で一泊し、
貴志川線のホームに向かいました。



JR和歌山駅の駅舎です。

和歌山城の様子はこちらからどうぞ。


貴志川線のホームは、
和歌山駅の東の端、9番線でした。



貴志からの2両編成の電車が到着し、
乗客が降りてしまうと、乗り込む人も少なく
車内はひっそりとした感じになりました。

記録が手元にないのですが、
確か休日の9時台の電車だったと思います。

発車して、すぐに左にカーブを切り、
和歌山の市街地を走っていきます。



2駅目の日前宮駅で
和歌山行き電車と交換しました。



この日前宮を出ると、住宅街を抜け、
田圃が広がるのどかな景色になりました。



どんよりとした曇り空でしたが、
この車窓風景に見とれていました。



和歌山市の近郊の路線なので、
周囲にはもっと住宅が立ち並んでいると
思っていたので、この風景は意外でした。


しばらく、この景色を眺めるうち、
伊太祁曽駅に着きました。



ここは車両基地もある
貴志川線の要衝の駅です。
大手私鉄、南海の路線だけあって、
しっかりした規模の車両基地でした。

この伊太祁曽駅でも和歌山
行きの電車と交換しました。

伊太祁曽を出ると、丘陵地の
間を走るようになりました。



丘陵地の間にある集落から
枯葉を燃やしているのでしょうか、
煙が立ち昇っていました。

丘陵地に蜜柑畑も広がり、
いかにも和歌山という景色です。




丘陵地のサミットを過ぎ、下り勾配に
変わる頃、広い池が現れ、その池に
架かる橋を渡って行きました。



この池の周囲は、大池遊園という園地が広がっていて、
春には1,000本もの桜が咲き、多くの人が訪れるそうです。

池にはボートもあったと思うのですが、
冬の閑散期なのか、営業していないようでした。

大池遊園を過ぎると、再び田圃が広がりました。



貴志に向かって緩やかな下り勾配となり
走るに従って遠く、低いところにある
貴志の町が見えてきました。

そして、終着・貴志に到着しました。
和歌山から30分程の乗車時間でした。



下車した人は数人で、
列車の写真を撮っていると
駅はひっそりとしてしまいました。



貴志に到着した電車は、5分程停車した後
和歌山に向かって発車して行きました。


この長閑な集落が広がる貴志から
僅か30分で、和歌山に行く事が出来るとは
とても便利なように思うのですが、
列車の乗客は多くはありませんでした。

この南海電気鉄道貴志川線に乗ったのが2005年2月。
その年の9月末には廃止される予定で、
この状況では、このまま廃止されて
しまうのだろうと思っていました。

ところが、乗車した直後に和歌山県、和歌山市と
貴志川町(当時)が貴志川線存続で合意しました。

沿線の市町村が線路用地を買収し、
鉄道事業を引継ぎ手を公募したところ、
9つの企業・個人の応募があり、
岡山電気軌道が事業を引き継ぐ事になりました。

今、貴志川線は、岡山電気軌道の子会社
和歌山電鐵によって運営されています。

貴志からはタクシーでJR船戸駅に向かいました。
和歌山線の乗車記はこちらからどうぞ。



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