|
|
|
|
|
|
久しぶりの和歌山線の旅は、
奈良駅からスタートしました。
奈良を7時41分の電車で王寺で
和歌山線の電車に乗り換えです。
関西本線の快速電車から跨線橋を渡って
和歌山線のホームに向かうと和歌山行き
8:06 発の電車が発車を待っていました。
クラブ活動の高校生が乗り込み、
かなり混みあっていました。
発車して丘陵地に囲まれた住宅地を走り、
やがて近鉄大阪線をアンダークロスすると
しばらくすると車窓右手に三角形の
二つの峰の山が見えてきました。
二上山です。
686年(朱鳥元年)10月、天武天皇の第三子で
将来を嘱託された大津皇子は天武天皇が崩御した
その僅か一ヵ月後に反逆の罪に問われ、自害します。
その後、大津皇子はこの二上山に葬られます。
実姉の大来皇女(おおくのひめみこ)は
大津皇子の死を悲しんで
奈良から桜井線を回って王寺に向かう電車。
関西線の普通電車と同じ緑色の
通勤型車両(103系)がやってきました。
JR五位堂を出ると、奈良盆地に屏風の様に
聳える金剛山系の葛城山が見えてきました。
この日も素晴らしい天気で、秋のような筋雲の空に
遠く眺める金剛山の山並みが気持ちよかったです。
桜井線との接続駅・高田を過ぎると
田圃の向こうに金剛山地を見ながら走り、
御所を過ぎると丘陵地が迫り
鄙びた景色になってきました。
レンゲの花が咲いていたり、昔ながらの
民家の土蔵が景色にアクセントを加えています。
山間から近鉄吉野線の
レールが寄り添うと、吉野口です。
近鉄の吉野行きの電車が停車していました。
桜で有名な吉野山はここから10km程ですが、
今回は吉野の桜を諦めて一路和歌山に向かいます。
実は、今回久しぶりに和歌山線に乗ったのは、
この吉野口から五条までの10.5kmが
未乗区間になっていたからです。
2007年3月18日のダイヤ改正で、
この区間にある北宇智駅のスイッチバックを
改修した際に営業キロが訂正となったのです。
吉野口を発車すると、狭い谷間を走ります。
車窓左手にしばらく寄り添ってい近鉄吉野線が
やがて山間に消えていきました。
和歌山線は、のどかな山間を走っていきます。
小さな峠を越えると、高速道路が現れ、
北宇智駅に到着しました。
この北宇智は以前はスイッチバック駅でした。
乗車した2007年の直前にスイッチバック駅から
通過型の駅に路線変更がされていました。
周囲は住宅地で、ここがスイッチバックの駅が
必要な程勾配が急とは思えない程です。
今の電車では苦も無い勾配も昔の
蒸気機関車にとっては難所だったのでしょう。
北宇智を出ると、車窓右手に
金剛山が遠くに見えました。
次第に吉野川の作る広い谷が広がりました。
山間を走った後なので、広々と胸の透くような眺めです。
吉野川の広い谷に出ると五条はもうすぐです。
五条駅でしばらく停車していると、
やがて上り電車が到着しました。
10分停車し、9:12 に発車です。
車内は随分空いてきましたが、
王寺で乗っていた高校生の
運動部の一団はまだ乗っています。
どこまで遠征に行くのか気になってきました。
五条からは吉野川の北側を走ります。
南に、谷が広がり対岸の山々が
遠くに見えています。
広々とした谷を走り、やがて
吉野川が寄り添ってきました。
車窓右手には金剛山系から
続く山が見えています。
のどかな景色を眺め、しばらくぼんやりしていると
南海電鉄高野線との接続駅、橋本に到着です。
そして大阪府との境に連なる葛城山系の山並みです。
紀伊山田で高校生の一団が下車していきました。
それにしても県を越えて長い距離を遠征するものです。
車窓には、蜜柑畑も見えてきました。
和歌山県に入ったことを実感します。
広々とした吉野川の谷に、山が迫るようになり、
川の崖の淵を走るようになり、駅に停車しました。
西笠田駅です。
停車中の駅から吉野川の流れが見えていました。
西笠田を過ぎると、再び広い谷が広がり
粉河駅に到着しました。
770年(宝亀元年)に開創した古刹、
粉河寺の最寄り駅です。
粉河を出て、しばらく住宅地を走っていましたが、
やがて吉野川から名前を変えた紀ノ川を渡りました。
2005年2月12日に南海電鉄貴志川線(当時)に
乗車しタクシーで船戸駅に出た時、
次の橋本方面の電車まで時間があったので、
この鉄橋の袂で和歌山行きの
電車の通過を待った事があります。
これがその時の写真です。
2年後にこの場所を、今度は電車に乗って
通過するのは、とても懐かしく、また
その時の自分が川の辺に立っているようで
何故か不思議な感じがしました。
その時、殆ど待つ人も居なかった岩戸駅。
今日は数人の乗客が乗り込んで来ました。
岩戸付近からは、広々とした田圃と、
住宅地が交互に現れるようになりました。
各駅から和歌山に向かう人が乗り込み、
次第次第に車内が混雑してきました。
高校生から大学生にかけての若い人が多く、
地方のローカル線では珍しい事です。
ロングシートに座っていては車窓が見難くなって来たので、
運転席横の前面展望の効くところに
立って車窓を眺める事にしました。
先頭車両からの眺めは、まだのどかなものです。
和歌山に近づいても広々とした田圃が眺められました。
田井ノ瀬を過ぎ、車両基地を過ぎると、
阪和線の高架の築堤が遠くに見えてきました。
和歌山線は、左に折れ阪和線に合流する
ようにして和歌山駅に至るのですが、
その左にカーブするところで、
直進方向に空き地が広がっています。
これはその昔、現在の紀和駅が和歌山駅と称していて、
和歌山線はこの空き地を直進していた頃の名残です。
和歌山駅が現在の位置になったのが、1968年。
和歌山線が現在の和歌山駅に乗り入れるようになったのが、
1972年で、その2年後に田井ノ瀬 - 紀和間の路線が
廃止になっています。
左にカーブを切ると、広々とした
和歌山駅の構内に進入します。
10:33、王寺から2時間半弱で和歌山に到着しました。
和歌山到着時には立ち客も多く出るほどの混雑でした。
|
|
|