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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



ワイドビュー「ふじかわ」
(静岡 - 甲府)
Limted Express "Wide View Fujikawa"
(Shizuoka - Kofu)



乗車日:Jan. 05, 2007






特急「ワイドビューふじかわ」は身延線経由で、
静岡と甲府間の122.4kmを結ぶ特急です。

所要時間は最速の列車で2時間10分。
表定速度 56.5kmです。

「ワイドビューふじかわ」は1964年(昭和39年)3月20日の
ダイヤ改正で登場した準急「富士川」が起源です。

その後、急行に格上げされ、更には1995年(平成7年)10月1日に
新型の373系車両に置換えられ、特急列車に昇格されています。

当初は2往復だった本数も順次増発され、
今では7往復が静岡と甲府の間を走っています。


身延線には過去2度ほど乗った事があるのですが、
2007年1月5日、初めて身延線を走る優等列車として
この「ワイドビューふじかわ」に乗車しました。



乗車したのは静岡 10:12 発の「ワイドビューふじかわ5号」です。

わずか3両編成の特急ですが、
座席の半分近くが埋まるほどの乗車率でした。

静岡を定刻に発車し、住宅街を走って行きます。
2006年3月に乗車したばかりの
静岡鉄道の線路を眺めながら走ります。

清水に停車すると列車の進行方向正面に
雪を抱いた富士山が姿を現してきました。



この日は雲ひとつ無い冬晴れの日で、
これから先の車窓からの富士山の景色が楽しみです。

しばらく行くと、山が崖の様に迫る
由井の海岸線を走るようになりました。
国道一号線も東名高速道路も、
山と海との僅かな隙間に集まっています。

線路際に道路が錯綜するその向こう、
太平洋越しに富士山が姿を現しました。



江戸時代の東海道は海岸線を避け、
興津と由井の間は山道となり、薩た峠で越えています。
安藤広重が描いた東海道五十三次の由井宿は
丁度この辺りの山間にある薩た峠からの
富士山の様子を描いています。

この富士山を眺めながら海岸線を走り、
やがて富士川を渡ります。



もちろんこの青空の下、富士川からも
綺麗な富士山が見えています。

何度も新幹線や在来線でこの区間を通っているのですが
これ程の富士山を見たのは初めての様な気がします。


静岡から25分で、富士に到着です。
ここで「ワイドビューふじがわ」は進行方向を変え、
身延線へと分け入っていきます。

進行方向右側の車窓には住宅地の向こうに、
ずっと富士山が見えています。



富士宮を過ぎると、身延線はUの字を描くように
南へ方向を変え、勾配を上って行きます。

右手の車窓に見えていた富士山が左の車窓に移り、
しかも住宅地が富士山の裾野に広がる様子も
立体的に見えてきました。



これだけの富士山の眺めが身延線の
車窓から見られるとは知りませんでした。
いつまでも、眺めていたい程の富士山の姿でした。

2007年12月に身延線に乗った際、
この区間で夕陽に染まる富士山を見ました。
その時の様子はこちらです。



しかし、列車は無常にもカーブを曲がり、
富士山の眺めを山に隠してしまいました。

身延線のレールは再び北を目指し
山間を走って行きます。



島式ホームの芝川駅を通過しました。

身延線はこの辺りから波高島(はだかじま)までの
30km程の区間を富士川に沿って走ります。



周囲を高い山に覆われ、その中を広い河原に
富士川の細い流れがうねる様に流れていました。

富士川はかつては水量が豊富で、
船も行き来していたそうですが、
その面影は今はありません。

列車の最後尾から去り行く線路を眺めていると
線路際に、ススキの穂が日に輝いていました。



そして再び、富士川の流れです。



雄大な富士川の流れに、車窓に
目が釘付けになってしまいます。

列車は、富士川沿いの小駅を
通過しながら進んでいきます。

十島駅で上り普通電車との交換しました。



この十島からは山梨県、
甲斐の国に入っています。

身延線は人家の少ない地域を通る為か
普通列車が少なく、2時間に一本程度の
運転本数になっています。

今回も、実のところは普通列車で
ゆっくり身延線を辿ってみたかったのですが、
スケジュールが合わずに「ワイドビューふじかわ」で
一気に走り抜ける事にしたのです。

十島を出ると再び、富士川の流れが車窓に広がりました。

 

身延線の線路は、時に富士川に寄り添い、
時に離れ僅かな平地に広がる田畑や
集落を見ながら進んで行きます。

対岸には南アルプスへと続く山々が連なり、
飽きることなく車窓を眺めていました。


富士川の流れを眺めるうちに
三角形をした身延山が見えるようになり、
11:31、身延に停車しました。



ホームの向かいに富士行きの普通電車が待ち合わせ、
更に、静岡行きの「ワイドビュー6号」との
交換もあり、3分程の停車です。

身延は身延山久遠寺の最寄り駅です。
2007年12月に身延で途中下車し、
身延山久遠寺に行った来ました。




写真は、その時の身延駅の様子です。
身延山久遠寺の旅行記はこちらです。


身延を出てしばらく走ると、
富士川の流れは車窓左手に去り、
支流の常葉川に沿う小さな谷を走ります。
そして、下部温泉に停車しました。



この下部温泉は、信玄公の
隠し湯として知られる温泉で
川中島の合戦で負った傷を
この下部温泉で癒したと伝えられています。

下部温泉を出ると山間の鄙びた景色が続きました。



山間を抜けると甲斐岩間に停車です。
小さな停車駅ですが、車窓右手をよく見てみると
近くの山の向こうに富士山がその頂を
僅かに覗かせているのが見えました。



甲斐岩間は小さな駅ですが、
何人かの乗客が乗り込んできました。

「ワイドビューふじかわ」は身延線内では9駅に停車し、
平均して約9km毎に停車している事になります。
各駅でこまめに乗客を集めて健気に
走っていると言った感じです。

甲斐岩間を出ると、約7分で鰍沢口です。



この鰍沢口で再び富士川沿いに出るのですが、
この駅は、個人的に親しみのある駅です。

というのも、この鰍沢口から西へ10km程、
南アルプスの山へ分け入ったところに、
十谷(じっこく)という小さな集落があるのですが、
そこが亡くなった祖母の故郷です。

そこへは2度ほど出掛けた事があるのですが、
僅かの耕地も無いような本当に山深い集落でした。


身延線はこの鰍沢口を過ぎると、甲府盆地に入ります。
急に山々が遠のき、平地が広がってきます。

甲府盆地に入って程なく市川本町を通過しました。
2007年12月に、この市川本町で途中下車し、
甲斐源氏発祥の地、市川大門を散策しました。



市川大門の旅行記はこちらです。

やがて甲府盆地の遥か向こう、北西の方角に
雪を抱いた山々が見えてきました。



この山は八ヶ岳でしょう。
少し霞んではいますが、甲府盆地から
八ヶ岳を眺めるのは初めての様な気がします。

そして西の方角には、甲府盆地を取り囲む
山々の向こうに雪を抱いた山々が
その頂を僅かに覗かせています。



左手の山は白根三山と呼ばれる、
農鳥岳、間ノ岳の白い山肌が見え、
北岳が僅かに頂を見せています。

左に微かに頂を見せているのは
仙丈ケ岳と甲斐駒ケ岳でしょうか。

列車の最後尾のデッキに立って、
熱心に写真を撮っていたので、
車掌さんが詳しく教えて下さいました。

南には富士山の高い頂が見えてます。



この写真は2007年12月に乗車した際に撮ったものです

次第次第に住宅地も増え、雪を抱いた山々が
家の屋根に遮られる事が多くなってしまいました。



上の写真、左の山が甲斐駒ケ岳と思います。
甲府盆地を取り囲む山々を眺めるうち、
中央本線のレールと合流し、
終着駅の甲府に到着です。



静岡から2時間11分の旅でした。

快晴のこの日に「ワイドビューふじかわ」に乗り、
仰ぎ見るような富士山の眺め、富士川の渓流
そして甲府盆地を取り囲む山々の眺めといった
バラエティに富む身延線の車窓風景の素晴らしさに
初めて触れることが出来ました。






身延 - 富士 / 2007年12月
(Minobu - Fuji)



「ワイドビューふじかわ」の乗車記にも書きましたが、
2007年12月、甲府から普通電車で身延線を南下し、
市川本町や身延で途中下車しました。

身延山久遠寺を訪れた後に、身延駅に戻ると
既に日が傾き、富士川の流れる谷は
既に日が翳っていました。



夕暮れの富士川を眺めながら走って行きます。

西側の山の陰に沈んだ夕陽が
空をまだ明るく照らしています。



東の空に浮かぶ雲は夕陽に照らされ
赤く染まっていました。

やがて頂の雪を赤く染めた
富士山が姿を現しました。



沼久保を過ぎその富士山が
車窓いっぱいに現れました。



夕陽が頂上付近だけを赤く照らしています。
麓の町の灯りが点々と灯っています。
素晴らしい景色を見ることが出来ました。



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