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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



三陸鉄道 (盛 - 釜石、宮古 - 久慈)
Sanriku Railway (Sakari - Kamaishi, Miyako - Kuji)


乗車日:Jan 12, 1992




三陸鉄道は、岩手県にある第三セクター鉄道です。
第三セクターというのは、地方自治体と民間とによる
共同出資会社の形態を言うそうですが、
第三セクター鉄道というと、特別な意味を持っています。
それは、国鉄末期の頃、経営が成り立たないとされた、
輸送密度 4,000人/km・日以下のローカル線のうち、
地元自治体や地元企業が経営を引き継いだり、
未完成の路線を開業させた37の鉄道を指しています。

東京の営団地下鉄は第三セクターが経営するのですが、
これを第三セクター鉄道とは言わないようです。

七面倒くさい言葉の定義はこの辺にして、
三陸鉄道は、第三セクター鉄道の中でも、
最も早く1984年4月1日に開業しています。

旧国鉄から引き継いだ盛線・宮古線・久慈線と、
工事中の吉浜 - 釜石、田老 - 普代間を、
完成させて開業したもので、
盛 - 釜石間の南リアス線36.6kmと
宮古 - 久慈間の北リアス線71.0kmが営業区間です。


三陸鉄道に乗ったのは、今から8年ほど前の冬です。
この時は、今は廃止になってしまった
岩手開発鉄道に(こちらです )乗った後、
三陸海岸沿いを北上し、下北半島まで行ったのです。

盛 - 吉浜間、普代 - 久慈間は、大学生の頃、
旧国鉄時代に、一度乗ったことがあったので、
ほぼ6年ぶりということになります。

前日の夕方、盛駅前の旅館で一泊した後、
早朝の列車で釜石に向かいます。
まだ日が昇る前、6時頃の列車に乗りました。




列車は地形の厳しい、三陸海岸を走ります。
トンネルとトンネルの間に入り江が現れます。
トンネルが越えるたびに、外が明るくなって、
やっと太陽が顔を覗かせました。



鏡のように静まり返った三陸の海に、
冬の太陽が、薄雲の向うに弱々しく輝いています。



海も空も紫がかった、普段では見られないような
素晴らしい景色なのですが、車内はガラガラでした。
この素晴らしい景色を、一人占めしていました。

吉浜を過ぎ、新しく開通した区間になると、
ますますトンネルが増えました。

平田("へいた"と読みます)を過ぎると、
製鉄所の脇を高架線ですり抜け、
立派な鉄橋を渡って、釜石駅に着きました。


釜石からJRの列車に乗り込み、2時間程で宮古へ。
ここから、再び三陸鉄道の線路となります。



三陸鉄道の宮古駅は、広告が入り組んでいて、
なにやらケバケバしい感じの駅舎です。

確か、宮古を9時頃の列車に乗りました。
この列車も比較的空いていましたが、
グループ旅行の一団が乗り込んできて賑やかでした。

宮古の北12.7kmの田老までは旧国鉄区間です。
田老の町を包むような防波堤が見られます。
田老を過ぎると、新しく開業した区間となり、
海から離れて、トンネルで真っ直ぐに進みます。

グループ旅行の一団は、島越で下車していきました。
駅前に停まっていたマイクロバスに乗り込んで
旅館かホテルに向かったようです。

三陸海岸の南半分、おおよそ宮古の南側は
山地が沈み込んで出来たので、
入り江や半島が入り組んでいます。
一方。その北側は海岸線が隆起し、
断崖絶壁が続いています。

その中でも有名なのが、北山崎や鵜の巣断崖です。
北山崎には、20年程前に行った事があります。
その時は八戸から南下し、当時終点だった普代で
バスに乗り換えて、北山崎に向かいました。

普代駅を出たバスは急勾配を登り、20分程で着きました。
バス停の周りには、お土産物屋さんが数軒並んでいて、
百メートル程歩いて行くと、いきなり断崖絶壁でした。
眼下に、波に洗われアーチ型になった岩が見えました。

その時はもう夕方で、あまり人もおらず、
はるか足元の海岸線に打ち寄せる波の音が
寂しく響いているだけでした。

今は、田野畑駅と普代駅から接続バスがあります。
いずれのバスも一日6往復程度ですから、
時刻表をよく確かめて下さい。




普代や野田玉川のあたりで、久ぶりに海を眺め、
三陸鉄道の終着、久慈駅に到着です。
宮古から約1時間半程の旅でした。


久慈からJRに乗り継ぎ、八戸に向かったのですが、
こちらは古い路線なので、海に忠実に沿って走ります。
冬の寂しい海岸線です。
この海も夏は賑わうのでしょうか。




三陸鉄道は先にも書いたように、旧国鉄から最初に
第三セクターに転換した鉄道です。
経営が成り立つかどうか、危惧されたようですが、
気仙沼から八戸まで、線路が繋がり便利になった事や
廃止になる線路を救ったという意識の高まりからか、
開業当初は、予想を上回る乗客で、
数年間は黒字経営だったのですが、
ここ数年は利用者が低下しているようで、
赤字経営になっているようです。
1997年度のDataですが、輸送人員は、
最盛期(1990年) に比べ、25%減だそうです。

三陸海岸という観光地を控えていることだし、
仙台から気仙沼を通り、三陸海岸を北上する
直通列車を八戸まで走らせれば、
便利で乗りやすくなるのにという気がします。



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