サンアントニオ
San Antonio, Texas in U.S.
サンアントニオ(San Antonio)は
テキサス州の西部にある街です。
このサンアントニオに出張で
2004年秋に訪れました。
サンアントニオは人口約120万人
全米第8位の大都市です。
サンアントニオに行く前までは、そして
空港に着いてホテルに向かう途中の景色は
ハイウェーの両側のモールに全米に
チェーン展開している大型店が軒を並べていて、
アメリカのどこにもある大きな街という印象でした。
とこが、サンアントニオの中心街に行ったところ、
この印象は全く間違っている事を知りました。
それは市の中心部を流れるサンアントニオ川の
川辺の"リバーウォーク"です。
サンアントニオは日本ではあまり
知られていない街と思いますが、
このリバーウォークとアラモの砦で知られる、
アメリカでは有数の観光都市にとのことです。
緩やかに流れる川の両側に散策路が設けられ、
その散策路に沿って、レストランやホテル、
ショッピングモールが作られていて、
多くの人たちが、のどかに散策や
食事を楽しんでいます。
このリバーウォークは1921年の
洪水が発端とのことです。
サンアントニオ川は、市の中心部で
U字状に迂回する分流があるのですが、
この洪水対策で、U字部分の川を埋め立てる
という計画が持ち上がったそうです。
この計画により再開発を目論むビジネス界と、
川をそのまま保存し、街を再開発しようとする
住民との間で大論争が巻き起こりました。
その後、地元の建築家ロバート・ハグマンが
スペインの古い街並みをコンセプトに、
河川をそのまま活かして街を開発する
リバーウオーク構想を提唱し採用され、
1941年リバーウオークの整備計画は完了しました。
ところが、第二次大戦以降、
街が郊外へと発展するにつれ
リバーウオークは浮浪者の溜まり場となり、
街はゴーストタウンと化していったそうです。
この事態を重く見た市は、街の再生に乗り出し、
1963年、リバーウオーク再生のマスタープラン
「パセル・デル・リオ(川の遊歩道)」を採択し
その後、徐々に活気を取り戻し始めました。
そして、1968年の万国博覧会の開催を契機に
リバーウオーク周辺に数多くのホテルも建設され、
今の賑わいに繋がっているそうです。
アメリカでは車中心社会になっているので、
多くの都市の中心部は車を
所有出来ない貧困層が取り残され、
犯罪多発地域になっています。
とても街中に足を踏み入れることは出来ません。
このリバーウォークの平和な光景が
アメリカの各都市でありふれた
ものになる事を願います。
そしてサンアントニオのもう一つの見所は
アラモの砦(The Alamo)です。
ここはリバーウォークからも
程近いところにありました。
アラモの砦は映画にもなったそうですが、
テキサス独立戦争の象徴的な場所です。
もともとテキサスは、1821年にメキシコが
スペインから独立した際には、
メキシコ共和国一つの州でした。
その後、テキサスはメキシコからの独立を決意し、
1835年12月にサンアントニオを開放します。
しかし、1836年2月23日にメキシコのサンタ アナ将軍は
4千人の大軍をひき連れてサンアントニオのアラモを攻撃。
13日間アラモに立て籠もった189人のテキサス人は
全貝打ち死にし、アラモは陥落してしまいます。
更に、1836年4月21日、テキサスはメキシコ軍を
サンジャシントで破り、テキサス共和国が生れました。
アラモの砦にはテキサスの州旗が掲揚されています。
上の写真の左奥にかすかに
見える旗がテキサスの州旗です。
通常、州旗は連邦旗と一緒に
掲揚されないといけないそうですが、
かつて独立国だったテキサス州だけは、
州旗だけの掲揚が認められているそうです。
アラモの砦を訪れたのは夜でしたが、
ライトアップされたアラモの砦は
とても印象的でした。
そして、忘れてはならないのが、
このサンアントニオには、シカゴへ向かう
"Texas Eagle"というAMTRAKの列車が
始発駅もあります。
いつの日か、シカゴからTexas Eagleに乗って、
再びこのサンアントニオに来てみたいと思っています。