只見町
Tadami, Japan






只見町は、福島県の会津地方の町です。
只見川沿いの町で、六十里越や
八十里越の峠で新潟県に接しています。

江戸時代には天領だったこの地は
マタギと呼ばれる狩猟民の郷でした。

1958年(昭和33年)に、只見川上流に
巨大な田子倉ダムが建設され、
ダムの貯水湖である田子倉湖は
遊覧船も運行される観光地になっています。

会津若松と上越線の小出を結ぶ
JR只見線の沿線にあり、町の玄関口の
只見駅は、只見線の主要な駅の一つです。


2006年12月、只見線に乗車した際、
この只見に一泊する事にしました。

16:13 に只見駅到着の列車で下車し、
列車の写真を撮っていると、駅舎から
不意に名前を呼ばれました。

なんと、送迎のお願いをしていなかったのですが、
列車で只見に向かう事を連絡しておいた
宿のご主人が駅まで迎えに来て頂いたのでした。

只見線の乗車記はこちらです。





山に囲まれた只見の町には既に夕暮れも迫り、
この日は早めにお風呂で旅の疲れを癒しました。

翌日、只見8:56の小出行きで只見を離れる予定なのですが
その前に、只見の町を散策する事にしました。

普段、会社のある時は朝寝坊なのですが、
こういう時は、シャキッと早起き出来ます。

辺りが明るくなりだした頃、
只見の散策に出掛けました。



東の空に浮ぶ雲が朝日にピンクに染まっています。

宿から南に向かい、只見川に架かる
常盤橋を渡ります。

只見の集落の背後にある高積岳の頂きには
朝日が既に当たっています。



朝早く、人通りも少ない集落ですが、
何人かの方が見知らぬ僕に
挨拶をして下さいました。

静かな山間に只見川の瀬音が響いています。
しばらく、只見川の流れを眺めるうちに
山間の只見の集落にもようやく
朝日が差し込んできました。



朝日が昇るのを見るのは久しぶりの事ですが、
冬の冷たい空気の中で、朝日を迎えるのは
流石に気持ちが引き締まります。

橋を渡った辺りで只見の
小さな集落は尽きていたようなので、
駅の方向に引き返しました。

途中、遠くに田子倉ダムとその背後の横山でしょうか、
雪を抱いた険しい山が谷間から顔を覗かせていました。



堤防に沿って少し歩き、只見の集落に入ります。



朝未だ早く、静かな集落を抜け、
駅の近くにある滝神社に行って見ました。



駅には、早朝に小出を発車し、
7:23 に只見を出て会津若松に向かう
列車が丁度停車しているところでした。

その駅の脇を抜けた先にあるのが滝神社です。



只見の人々の氏神さまなのでしょうか。


こうして、僅かばかりの時間でしたが
只見の集落の散策を終え、宿に戻りかけました。

駅前に只見町の観光案内の看板があったので
ふと目を留めてみると、この只見町に
河井継之助記念館があることを知りました。



河井継之助のことは、随分昔の大河ドラマ『花神』で
その名を知り、司馬遼太郎氏の『峠』を読んで、
河井継之助を少し詳しく知りました。

幕末、越後・長岡藩士だった継之助は、
藩主の信頼を得て重役に抜擢されると
藩政の改革に着手し、藩の財政を立て直します。

また倒幕派にも幕府側の両方に属さない
武装中立論を唱え、最新兵器で長岡藩を武装しています。

新政府軍が越後に進攻し、会津藩攻撃を長岡に迫った時、
継之助は新政府軍監の岩村精一郎(のちの岩村高俊)と会談し、
長岡藩の和平を訴えるのですが、成り上がりの
岩村は河井継之助の意図を理解できず、
長岡藩は新政府軍との戦いに巻き込まれてしまいます。

最新兵器で徹底抗戦した長岡藩ですが
長岡城はついに落城し、この時負傷した継之助は
長岡から八十里峠を越えて会津に敗走する途中に
会津塩沢で、命を落としたのでした。

長岡城の様子はこちらです。


八十里越えは只見の北部、越後との国境の
山また山の険しい峠道です。
一里が十里にも相当し、それが八里続く
ところから、その名が付けられたそうです。

"八十里 腰抜け武士の 越す峠"
これは河井継之助の詩です。


宿に戻り、宿のご主人に河井継之助の事を話すと、
ご主人は、河井継之助の事を深く勉強されている方で
週刊誌でも紹介されている程の方で、
河井継之助の話を伺う事が出来ました。

河井継之助は敗走する途中
この只見町の塩沢で亡くなった事も
宿のご主人から伺いました。

ご主人のお話では、結果的にせよ、長岡藩を
戊辰戦争に巻き込んでしまった河井継之助は
長岡では必ずしも評価されている訳では無い事を伺い
少なからず驚いてしまいました。

正直なところ、只見に泊まる事にしたのは
只見線の135kmもの区間を一気に乗るのは、
あっけないと思い、どこかで一泊しようと思った為で、
只見に特に理由があった訳ではありませんでした。

でも、河井継之助の縁の地である事を知り、
また、この自然豊かなこの只見を
是非、再訪したいと思います。



宿 Accommodations

ますや旅館

〒965-0871
福島県南会津郡只見町只見田中1189-3
TEL : 0241-82-2311
FAX : 0241-82-2312
Web Site: http://masuya8.com
E-Mail: hot@masuya8.com

只見駅からまっすぐ南に
300m程のところにある旅館です。



偶然、インターネットで予約したのですが、
駅まで迎えに来てくださったり、
暖かいもてなしに、感激でした。

ご主人は、河井継之助の事に詳しい方で
週刊誌にも何度か紹介されています。
丁度、ますや旅館に宿泊した時、
週刊朝日、2006年12月15日号でも
宿のご主人の事が記事になっていました。

それによると、河井継之助が好んで食べた
「さくら飯」という味噌漬けご飯が
こちらで食べる事が出来るそうです。

いつの日か、河井継之助記念館を訪れる際に
この、ますや旅館に泊まりたいと思います。



只見線のページに戻る



東北地方のページに戻る

Shane旅日記 日本編に戻る