白石
Shiroishi, Japan







白石市は宮城県の南部、宮城と山形の
県境に聳える秀峰、蔵王の麓に広がる
人口約4万人の街です。

江戸時代に、仙台藩の支城・白石城がおかれ
その城下町として発展した街です。


白石の街には、白石城の遺構が残っていて、
2007年7月に白石城を訪れた際に
白石の街も散策してみました。

白石城の様子はこちらです。


まず、JR白石城の南、300m程の
ところにある当信寺に向かいました。

この当信寺には白石城の東口門が移築されています。
その東口門は、通りに面してさりげなく建っていました。



白壁の門が城郭建築らしさを残していますが、
門の間口は狭く、改築されたのでしょうか。

この当信寺は1597年(慶長2年)の開山で、
本尊の阿弥陀如来像は、大阪夏の陣に参加した
片倉家中遊佐勘四郎が持ち帰った
ものと伝えられているそうです。


当信寺を訪れた後、白石城を訪れました。



白石城の様子はこちらです。


白石城の本丸を下ったところにある神明社です。



この日は小雨の降る天気で、夕暮れの神社は
しっとりとした雰囲気に包まれていました。

神明社の坂を下ったところにある鳥居。



この鳥居の辺りが白石城の厩口門跡です。
厩口門は、市内の延命寺に移築されています。

白石城の北側に武家屋敷が残っているようで、
武家屋敷を訪れた後に、延命寺に向かう事にしました。


市街地に出て、小道を真っ直ぐ歩き
白石女子高を過ぎると、沢端川を渡りました。



水量豊富な川で、川に沿った景色がとても趣があります。
この沢端川は白石城の天然の堀の役割を果たしていて、
川の両側には侍屋敷(武家屋敷)が建ち並んでいた事でしょう。


沢端川に沿ってしばらく遡っていくと、川を隔てた
向かい側に片岡家中武家屋敷がありました。



この屋敷は1730年(享保15年)に建てられた
小関右衛門七の屋敷だったものです。
1991年(平成3年)に白石市に寄贈され、
全面的に修復されたそうです。

門をくぐり、多くの樹木が植えられている
邸内を歩いていくと、質素な屋敷が見えてきました。



玄関をくぐると土間があり、侍屋敷というよりも
農家の家のつくりのような感じです。

それでも、畳み敷きの部屋もあり、
侍屋敷としての格式も保っていたようです。



しっとりと、とても落ち着いた屋敷でした。


静かな片岡家中武家屋敷でしばらく佇んだ後に
延命寺に向かう事にしました。

白河小峰城を訪れた後で、
既に薄暗くなりかかっています。

白河小峰城の様子はこちらです。


沢端川に沿って、歩いていくと、
しっとりとした塀越しに綺麗な
花が咲いている家を見かけました。




この先に、酒蔵が見えてきました。
駅の観光案内所でもらったパンフレットを見ると
蔵王酒造展示館もあるようで、そちらに行って見ました。



あいにく、酒造展示館は閉まっていて、
直接お酒を買うことは出来なかったのですが、
この蔵王酒造のお酒は、全国の
品評会で金賞を受賞しているようです。


酒蔵を過ぎ、しばらく川に沿って歩き
その先で、北に向かい延命寺を目指しました。

延命寺は1596年(慶長元年)に
中興されたお寺ということです。

蒲生氏郷がこの地を治めている頃から
城下町の建設が進んでいたようです。

そして、延命寺の入り口に建つ
白石城厩口門です。



当信寺の東口門もそうですが、
この厩口門も、小ぶりな門でした。

延命寺の境内には、安珍地蔵尊がありました。



僧安珍は、和歌山県の道成寺物語の主人公で、
熊野詣での途中、土地の名家に泊まった際
その家の娘・清姫に恋され、修行の邪魔と
道成寺に逃げ込み、蛇と化した清姫の煩悩の
熱炎によって焼き殺されたとされています。

その僧・安珍は白石市の出身ということで、
供養の為にこの地蔵尊像が造立されたそうです。



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