渋民村 (岩手県玉山村)
Shibutami, Japan






"かにかくに 渋民村は戀しかり
おもいでの山 おもいでの川"


石川啄木は、1886年(明治19年)岩手県南岩手郡日戸村
今の玉山村日戸で生まれ、生後間もなく渋民村に移りました。
従って、渋民村は、啄木の故郷そのものだったと思います。

石川啄木が詩に詠んだ故郷渋民村。
この渋民村に、2004年2月に行ってきました。

渋民村は、1954年に玉山村薮川村組合村と合併し、
現在の行政区分では、岩手県 玉山村に含まれています。
岩手から八戸に向かう単行のローカル線を渋民の駅で降り、
タクシーで石川啄木記念館に向かいました。


往来の激しい国道4号線を10分程走り、
石川啄木記念館に着きました。

記念館の北側に、古い茅葺の農家と、
これも古い2階建ての建物がありました。



古い農家は、旧斎藤家の建物です。
盛岡尋常中学を中退し、岩手を出た啄木ですが、
志半ばで故郷渋民に戻った1906年(明治39年)、
この農家の二階の部屋に過ごしたそうです。

農家は、畳の間は一部屋しかなく、
当時の質素な生活が偲ばれます。

啄木がこの家に住んでいたのは今から100年前。
しばらくこの家の中に佇んでいると、
その時代に迷いこんだような錯覚さえ覚えます。



その間の長い時の移り変わりを、
一瞬の間に今の時代に引き戻すように、
暗い農家の内部に光が差し込んでいました。


斎藤家の隣が渋民村尋常小学校の建物です。
渋民村に戻った啄木は、ここで
代用教員として教鞭をとったそうです。



小学校としては小さな建物です。
2階に小さな教室が2部屋ありました。

小さな机の並ぶ古い教室。
心ならずも、母校の教壇に立った啄木ですが、
英語の課外授業を行うなど、精力的に力を注いだようです。


啄木の短い一生を伝える啄木記念館を訪れた後、
すぐ隣にある宝徳寺の境内に立ち寄ってみました。



ここは、曹洞宗の僧侶だった
啄木の父親が住職を努めたお寺です。

啄木の一家は、啄木が生まれた一年後に、
このお寺に越してきたそうです。

宝徳寺の周りは田圃が広がっていますが、
すぐ近くまで丘陵地が迫っています。

雪に覆われた寂しい山郷。
この景色が啄木の原点なのでしょうか。




宝徳寺から歩いて5分程の
ところに渋民公園があります。

北上川の流れの淵に、一番最初に
建てられたという啄木の歌碑があります。

天気が良ければ岩手山が望める筈なのですが、
今日は曇ってその姿を見ることは出来ません。

歌碑の下の北上川の流れ。



このすぐ下には鶴飼橋という吊橋があります。
今の橋は架け替えられているのですが、
当時啄木は、最寄の好摩駅から渋民まで、
この橋を渡って行き来していたそうです。



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