三内丸山遺跡は、日本最大級の縄文時代の遺跡です。
1992年(平成4年)から発掘調査が行われ、
三内丸山遺跡は青森市内の西側、東北新幹線の
2010年12月にこの三内丸山遺跡を訪れました。
東北新幹線で新青森駅に着き、ここから
三内丸山遺跡には発掘された土器などを展示
時遊館を出て正面の様子です。
縄文集落の地図です。
下の黄緑色のところが窪地部分です。
三内丸山遺跡では1,500年の間に500棟の
茅葺、土葺そして樹皮葺と色々なタイプの
上の写真左が茅葺、右が土葺の住居です。
こちらは約4,500年前の大人の墓跡です。
また高床式の掘立小屋もありました。
紀元前4,500年前の建物の復元という事ですが、
三内丸山遺跡のシンボルになっている巨大な
子供の遺体は、土器に入れてこの場所に
そして、三内丸山遺跡の中央に聳える
この建物は4,500年から4,000年程前のもののようです。
この建物の大きさには目を見張るものがありますが、
こちらは大型の竪穴住居です。
この住居は4,300年前のものだそうです。
建物の内部は広く、20〜30人の人が暮らせそうです。
こうして散策するうちに、冬の東北の
まだ明るさの残る夕暮れの空。
三内丸山遺跡は、約5,500年前から人々が
その理由は判っていないそうです。
縄文の集落跡を観終わった頃、冬の
そこで、遺跡で発掘されたものが
まるで時空を超えて旅をするような
三内丸山遺跡からは数多くの土器や石器、
そして、1,958点もの出土品が国の
三内丸山遺跡が栄えた縄文時代は、狩猟農耕の原始的な
展示されている土器をみても、その形や装飾の
こちらは土偶の出土品です。
土偶の形も、存在した時期も一致していませんが、
展示されていた出土品で一番驚いたのは
今から6,000年以上前にこのような綺麗な
そんな広い範囲に亘って交流があったというのも
こちらは耳飾りや針などの加工品です。
普段、こうした博物館にはあまり足を運んだ事は
このような素晴らしい三内丸山遺跡ですが、
ここから土器が出土していたのは、江戸時代から
壊す前提での調査で多くの発見があり、遺跡が
三内丸山遺跡
Sannai-Maruyama Archaeological Site
5,500年から4,000年前の1,500年間も栄えた集落です。
その結果に基づいて、竪穴住居や大型の
掘立柱建物の柱部分などが復元されています。
新青森駅から比較的近い所に位置しています。
その時の様子を紹介します。
縄文集落跡
"ねぶたん号"で三内丸山遺跡に向かいました。
する時遊館という展示館が建てられています。
その建物を抜け、住居などが復元されている
集落跡に向かいました。
撮影: 2010年12月
住居跡はこの左手に復元されています。
正面の窪地は当時はゴミ捨て場だったようです。
撮影: 2010年12月
住居跡が確認されているようでそのうち、
16棟が復元されました。
住居があったようです。
撮影: 2010年12月
土葺の住居は如何にも原始的な感じがしますが
断熱効果が高いようで、冬の厳しい東北には
この住居の方が向いていたのではないでしょうか。
楕円形の穴を掘り、そこに葬ったようです。
撮影: 2010年12月
撮影: 2010年12月
その昔にこのような立派な建物があった
というのは驚きでした。
掘立柱の復元建物とその右手にはドーム状の
建物で覆われた子供の墓地跡です。
撮影: 2010年12月
集中して捨てられていたそうです。
撮影: 2010年12月
復元された巨大な掘立柱建造物です。
撮影: 2010年12月
掘立柱の間隔は4.2mで、栗の柱が使われていたそうです。
実際に建物が建てられていたのかどうか、はたまた
その使い方にも諸説あり、はっきりしていないようです。
床面積は250uにも及び日本最大の竪穴式住居です。
撮影: 2010年12月
復元された住居に入ることが出来ました。
撮影: 2010年12月
当時、人々はどのような暮らしをしていたのか、
思いは遥か遠くへと募ります。
短い陽が落ち、寒くなってきました。
撮影: 2010年12月
遠い昔に東北の人も眺めた空です。
住み着き、4,500年前に最盛期を迎えましたが、
約4,000年前に急速に衰えてしまったそうです。
縄文時遊館 (展示館)
短い陽も落ち、寒くなって来ました。
展示されている時遊館に行ってみました。
撮影: 2010年12月
縄文時遊館の入り口です。
土偶などが出土し、その数は土偶だけで、
2,000点を超えているそうです。
撮影: 2010年12月
重要文化財に指定されています。
社会だったというのが定説でしたが、大きな建造物も
建てられていた事や、また三内丸山遺跡から出土した栗が
栽培されたものである事もわかったそうです。
撮影: 2010年12月
複雑さや美しさから、文化や技術のレベルが
かなり高かった事がわかります。
撮影: 2010年12月
青森県の土偶というと、亀ヶ岡遺跡が有名です。
東北北部から北海道南部にかけては縄文時代の遺跡が
いくつも発掘されていて、この地方一帯で
文化が栄えていた事と思います。
撮影: 2010年12月
このヒスイです。
撮影: 2010年12月
装飾品を加工できる技術があった事も
驚きましたが、日本でヒスイが採れるのは
新潟県の糸魚川に流れる姫川周辺しかありません。
縄文時代に対する認識を変えさせてくれました。
撮影: 2010年12月
あまりなかったのですが、この三内丸山古墳の
展示品は素晴らしく、時を忘れて見入っていました。
撮影: 2010年12月
ここが発掘されるきっかけは、この地に
野球場の建設が計画されたため、
その地質調査だったそうです。
知られていたそうで、そこに野球場を造るという
計画が出来ていた事は、とても残念に思います。
後世に残されることになったのは本当に良かったです。