岩出山
Iwadeyama, Japan







岩出山は、宮城県北部に広がる大崎平野の西の端、
奥羽山脈に連なる山々が姿を現し始めた辺りに
位置している町です。

JR東北本線の小牛田から奥羽本線の
新庄を繋ぐJR陸羽東線が町を通っています。

JR陸羽東線の乗車記はこちらです。


ひっそりとした町ですが、伊達政宗が
関が原の戦いの後、仙台城に移る迄の
12年間をこの岩出山城で過ごしています。


岩出山の玄関口、岩出山駅で下車し、
駅に鞄を置いて散策に出掛けました。



駅前の道を西に向かい、
まずは岩出山城を目指しました。

岩出山城の様子はこちらです。


岩出山城を訪れた後、二の丸から北の堀跡へと
下りて行くと岩出山を流れる内川の辺に出ました。



澄んだ水が勢いよく流れ、
気持ちのいい川の流れです。

川沿いに散策路があり、川の反対側には
江戸時代の学門所だった有備館があります。

しばらく内川の流れに沿って歩き、
通りに出たので、有備館を目指して歩きました。

古い建物の脇に小さな紫の花が咲いていました。



急いで歩いていると見過ごして
しまいそうでしたが心癒される光景でした。


この先に有備館がありました。
堂々とした正門です。



岩出山の武士の子弟への教育の為
岩出山伊達氏、三代目の伊達敏親が
1691年(元禄4年)に建てたものということです。

江戸でもこの頃昌平坂学問所が建てられていますが、
戦に明け暮れていた時代が去り、文武両道の
必要性を感じた、先見性があったようです。

有備館の建物は、1663年(寛文3年)に岩出山城の
二の丸館が焼失した時の仮居館を利用したそうです。



池の畔に佇む有備館。
元々がお城の居館だったせいか、
学問所だったという雰囲気ではありませんでした。

その有備館の前に広がる庭園です。



1715年(正徳5年)に築かれた回遊式池泉庭園です。
夏の時期、木々の葉が濃く自然に近い趣の庭園でした。

有備館の玄関。



歴史を感じる佇まいでした。

有備館のすぐ前にはJRの有備館駅がありました。
1996年に出来た新しい駅です。


有備館を訪れた後、内川に沿って岩出山の町を横断し、
町の南にある伊達家廟所を目指しました。

有備館から程近いところにあった
昔ながらの酒屋さんです。



街中の何気ない、こうした佇まいが
とても心和みます。


この酒屋さんから程近いところに
内川を渡る橋がありました。

橋から眺める内川の流れです。



この内川に沿って散策路があり、
岩出山の町を南北に歩く事ができます。



川のせせらぎを聞きながら歩いていると
清流が流れる町はいいな、とつくづく思います。

岩出山駅に向かう道と交差して、内川と離れ、
少し歩くと古びた立派なお寺が見えてきました。



来迎寺です。
戦国時代末期の1573年から1591年の
天正年間に開山したそうですが、
お寺には13世紀後半の弘安年間の
碑も残されているようです。


来迎寺を過ぎ、岩出山の町の南の
外れにある伊達家霊廟に向かいました。

まず訪れたのは丘陵地の中腹に佇む松窓寺です。



1555年(弘治元年)に開山され、1603年(慶長8年)に
伊達政宗家臣・山岡志摩重長が移転したそうです。

伊達家霊廟は松窓寺と
道路を隔てた反対側にあります。
木々が生い茂る小道を上って行きます。



伊達家霊廟は小道の一番
奥まったところにありました。
ここには岩出山伊達家代々の
藩主のお墓があります。



写真は、伊達政宗の第四子、
初代の伊達宗泰公のお墓です。
この初代宗泰公と、二代宗敏公のお墓は
桃山式の建物で覆われていたようです。

静かな森の中に佇む
岩出山伊達家のお墓、
とても落ち着いた雰囲気でした。



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