御嶽は、沖縄各地に分布している聖地ですが、
琉球王朝時代に国府が整備した
この斎場御嶽には6箇所の神域(イビ)があり
こうした事からもこの斎場御嶽と
また琉球最高の神女、聞得大君の
斎場御嶽に向かう途中に眺めた沖縄の海です。
夏の青い海と空に囲まれた、この景色の
琉球最高の聖地である斎場御嶽は
冷房の効いた展示館から屋外に出ると
深い木々の間を抜けて斎場御嶽の中に入っていきました。
しばらく進むと、右手にウローカーと呼ばれる
当時は、ウローカーでみそぎをして
その先に急な石畳の坂道が見えてきました。
2008年に訪れた際、ここは滑りやすく、
この坂道を登ると、青い太平洋が見えてきました。
ここは、御門口(ウジョウグチ)と呼ばれる参道の入り口で
この御門口から奥に入る事が出来るのは
御門口から木々の間を更に奥に入っていくと
南国の木々の間に巨石が現れ、
ここでは聞得大君のお新下り儀式で
大庫理(ウフグーイ)から更に
三叉路を右に折れ、
再び巨石が現れました。
その左手には「貴婦人様御休み所」があり、
巨石と三角岩の間に三角形上の空間が出来ていました。
この空間の突き当りが三庫理(さんぐーい)、
巨石に囲まれた三角形上の空間は
この隙間を抜け三庫理(さんぐーい)に向かうと
多い茂る木々の葉の間にぽっかりと
太陽が昇る方角にある久高島は
琉球王国時代、重要な儀式が行われた際には
久高島遥拝所を眺め、三角岩の作る
大きな岩の隙間に差し込む光が
三庫理から三叉路まで戻り、
杜が深く、寄満へ向かう細い道の
深く生い茂った木々で青い空も
その杜の中に砲弾池という池がありました。
第二次大戦中、この斎場御嶽に艦砲射撃がなされ
琉球の聖地、斎場御嶽も戦争に
その杜の木々の切れ目に
斎場御嶽
SefaUtaki, Japan
斎場御嶽は、その御嶽の中でも、
最も神聖な場所だそうです。
格式高い祭祀場だったそうです。
そのうち大庫理、寄満、三庫理の3箇所は、
首里城の部屋と同じ名前が付いているそうです。
撮影: 2008年7月
琉球王国との繋がりは深かったと
考えられているようです。
就任の儀式「お新下り」もこの
斎場御嶽で執り行われたそうです。
撮影: 2008年7月
すぐ近くに斎場御嶽はありました。
2000年に世界遺産に指定されています。
斎場御嶽の手前にあるこじんまりとした
展示館を抜けると世界遺産の記念碑がありました。
撮影: 2012年7月
湿度の高い粘りつくような熱気が襲ってきました。
撮影: 2012年7月
泉への道が分かれていますが、
この道は立ち入り禁止になっていました。
斎場御嶽に入ったそうです。
撮影: 2012年7月
石坂を上るのに注意が必要でしたが、
2012年に再訪した際には、木製の
階段が作られていました。
撮影: 2008年7月
神社に例えると、拝殿にあたる場所だそうです。
撮影: 2012年7月
王府の関係者に限られていたそうです。
御門口の脇には六ヶ所の拝所を示す香炉が置かれ、
一般の人はここで拝んだそうです。
大庫理(ウフグーイ)と呼ばれる拝所が見えてきました。
大庫理は、首里城正殿の二階部分と同じ名前だそうです。
撮影: 2012年7月
その巨石の根元が拝所だったようです。
「お名付け」と呼ばれる霊威づけの
儀式が執り行われたそうです。
御嶽の奥へと向かって行きました。
撮影: 2012年7月
三庫理(サングーイ)へ向かいます。
下右の写真に二本の鍾乳石が見えています。
その鍾乳石から水が滴る所にはシキヨダユルアマガヌピーと
アマダユルアシカヌピーと呼ばれる壷が置かれていたそうです。
撮影: 2008年7月
左手、一番奥には巨石に三角岩が寄りかかっていました。
撮影: 2012年7月
撮影: 2008年7月
その右側がチョウノハナという拝所です。
不思議な厳かさを感じました。
その左手には、神の島・久高島を拝む
久高島遥拝所がありました。
撮影: 2012年7月
空間が広がり久高島が見えていました。
撮影: 2008年7月
「神の島」と言われています。
久高島から聖なる白砂を運びいれ、
斎場御嶽に敷き詰めたそうです。
空間を抜けようとした時の様子です。
撮影: 2008年7月
神秘的でした。
その奥の寄満(ユインチ)に向かいました。
両側まで木々が迫っています。
撮影: 2008年7月
隠れてしまっています。
撮影: 2012年7月
窪んだところに水が溜まって出来た池だそうです。
巻き込まれたとは痛々しい限りです。
大きな岩の切れ目が見えてきました。