唐津
Karatsu, Japan








唐津は古くから、中国や朝鮮半島との
貿易拠点として栄えたところです。

安土桃山時代からは陶器の産地としても知られ、
江戸時代には唐津藩が置かれ、
唐津城の城下町として栄えた町です。

唐津城の様子はこちらです。


2008年1月に、唐津城を訪れるため
唐津に行きました。

その際に、歩いた唐津の街の様子を紹介します。




唐津市内
(Karatsu Downtown)


唐津の市街地を見下ろす唐津城。



松浦川と町田川の合流点にある
満島山に築かれています。
唐津城に向かう城内橋から
眺める松浦川の様子です。



入り江のように広く静かな松浦川、
その奥に墨絵のように見えるのは鏡山です。


537年(宣化天皇2年)に、朝鮮半島の
任邦、百済・救援の為に出兵した大伴狭手彦は、
この松浦の地で休養した際に、篠原村の
長者の娘・佐用姫と恋に落ちました。

朝鮮へと出兵する狭手彦の乗る船を
鏡山に登り見送った佐用姫ですが、
その後を追い、呼子の加部島の田島神社で
狭手彦を思うあまり、死に伏し、
岩と化してしまったそうです。

そんな謂れのある鏡山は、別名、
袖振山と言われています。


唐津城を訪れた後、二の丸跡の北側に続く、
石垣の道を西に向かって歩いていきました。



石垣と松林の続く小道は、静かな散策路でした。

そんな小道の途中に、古風な旅館や
明治時代の大きな屋敷が建っていました。



この屋敷は、杵島炭鉱の炭鉱主だった
高取伊好(これよし)の邸宅です。

国の重要文化財にも指定されているこの邸宅は
2300坪もの敷地があるそうです。



一部レンガ造りの洋間もある、
二棟の建屋があります。
驚いたことに、大広間には、
能楽堂も作られています。


旧高取邸の先の門を左に折れ、
唐津の街中に向かいました。
唐津城の三ノ丸北側にあった
埋門跡があります。



この埋門から南に、埋門小路が続いています。

その途中に埋門ノ館がありました。
長屋門の奥に武家屋敷風の建物が建っていました。



茶道や華道・舞踊などの文化活動を行うために、
1995年(平成8年)に建てられたそうです。

古びた土塀の続く埋門小路です。



この辺りは、家臣の屋敷が建ち並んでいた
唐津城の三ノ丸だったところです。

土塀の下の石垣を見ると
新しく築かれた土塀のようですが、
江戸時代の雰囲気を伝えています。

その一角に唐津神社がありました。



真っ白な石の鳥居が綺麗です。

唐津神社の歴史は755年(天平勝宝7年)。
今から1250年以上前の昔まで遡るそうです。



正直、この唐津神社の辺りでは、この後、
肥前名護屋城に向かうバスの時間が気になって、
慌しく訪れたので、唐津神社がこれ程の歴史がある
神社とは、知りませんでした。

唐津神社から更に南に向かい、
唐津市役所の堀と石垣を眺めた後、
街中に再建された唐津城三ノ丸の
辰巳櫓を訪れました。



バスの時間まであまり余裕がなくなり、
大急ぎでの訪問となってしまいました。

辰巳櫓からバスセンターに向かう途中で
レンガ造りの建物を見かけました。



1912年(明治45年)に建てられた
旧唐津銀行本店の建物です。
国の登録有形文化財に登録され、
唐津市の重要文化財にも指定されています。

東京駅や南海電鉄の浜寺公園駅舎を設計した
建築家の辰野金吾が監修したそうです。

辰野金吾氏の履歴を調べてみると、
唐津藩の下級藩士の次男として生まれたそうです。
館内に、辰野金吾氏の資料も展示してあったようですが、
この写真を撮っただけで、立ち去ってしまいました。

この後向かった肥前名護屋城の様子はこちらです。





虹の松原
(Nijino Matsubara)


唐津城を散策した後、名護屋城に向かい、
夕暮れ迫る唐津に戻ってきました。



松浦川に架かる松浦橋から眺める夕日です。
日も沈むと、ライトアップされた唐津城が
暗い空に浮き上がっていました。




この日は唐津に泊まり、翌日に唐津の東に
延びる虹ノ松原を歩いてみました。

当初の計画では予定に入っていなかったのですが、
唐津城の天守閣からの虹ノ松原の眺めに
歩いてみたくなったのです。



この写真は唐津城天守閣から
遠く眺めた虹ノ松原です。

唐津城の様子は
こちらです。


朝、まだ早い時間に浜辺に出ると、
ほとんど人の姿も見かけません。

静かな玄界灘の波が押し寄せていました。



玄界灘に浮かぶ高島や、
大島も波間に浮かんでいます。

この日は穏やかな冬晴れの朝で
気持ちよく浜辺を散策する事が出来ました。

朝早い時間から散策したおかげで、
砂浜には足跡も殆どありません。
鳥の足跡がくっきりと残っていました。



砂浜を東に向かっていくと、
次第に松林が迫ってきました。

この松林が虹ノ松原です。



静岡県静岡市の三保の松原、
福井県敦賀市の気比松原と並び、
日本三大松原と称えられています。
砂浜の途中から松林の中に入って行きました。



この虹ノ松原は、初代唐津藩主の
寺沢志摩守広高が海風を防ぐために
保護育成したそうです。

「この松原に、世の愛する松が7本ある。
それを傷つけた物は死刑に処す」
と、どの松がを明示しないままにお達しを出したので、
この松原が守られたということです。



松原を散策する人もいました。
曲がりくねった特徴のある
枝振りの松も見かけました。

この松がひょっとして寺沢広高公の
愛した松かも知れません。

虹ノ松原は総延長約4700m、
総面積218ヘクタールあります。



現在、約100万本もの松があるそうです。
松林を抜けて虹ノ松原駅に向かう途中、
洒落た観光施設もありました。



浜辺を散策し出してから約1時間半ほどかけて
虹ノ松原駅にたどり着きました。



前日に思い立った虹ノ松原の散策でしたが
のんびりする事が出来て、良かったです。

予定より、約2時間ほど遅い筑肥線の電車に
乗り込んで博多に向かいました。

JR筑肥線の乗車記はこちらです。





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