館林
Tatebayashi, Japan






館林は群馬県南東部の街です。

東武・小泉線に乗った際、館林城を訪れました。
その際に、お城の周辺ですが、少しばかり
訪れましたので、紹介しようと思います。


館林城の本丸跡を散策していると、
急に縄文時代の住居跡がありました。

館林城の様子はこちらです。



「縄文邑(じょうもんゆう)」というようですが、
館林には144箇所も昔の遺跡があるそうです。

この縄文邑の隣、本丸跡の東北隅には
向井千秋記念子供科学館が建っています。
宇宙飛行士の向井千秋さんが館林出身とのことで
建てられたそうです。

時間の余裕が無かったので立ち寄らなかったのですが、
小学校の遠足で多くの子供達が来ていました。

本丸跡の東側には、旧秋元別邸があります。



秋元氏は館林藩の最後の藩主です。
この別邸は秋元氏ゆかりの明治時代の建物という事です。



この別邸の敷地の脇に、数々の墓石碑がありました。
本丸や三の丸跡から出土した
五輪塔などを集めたものだそうです。


旧秋元別邸から道路の反対側に第二資料館があり、
明治時代の建物を移築しているようです。



石造りの標識は、1748年(寛延元年)に
旧小泉街道の追分に建てられたという道標です。

この道標の脇には古い手水鉢が置かれています。



1836年(天保7年)に藩主・松平斉厚が
館林から浜田に移封になった際、
家臣らが在住中の感謝の印として、
城下の八坂神社に奉納したものだそうです。

そして、その奥にある古い日本家屋は
田山花袋の旧居です。



田山花袋も館林出身で、この旧居は
花袋が7歳から14歳まで暮らした家です。
江戸時代の侍屋敷でもあるそうです。

この第二資料室には「旧上毛モスリン事務所」という
洋館も移築されています。



上毛モスリン株式会社は、二の丸跡に建っていて、
この地域の伝統的技術の機業を活かし、
近代産業の発展に寄与したそうです。


上の旅行記は館林城を訪れた際に、
お城近くを駆け足で見て回ったものですが、
駅から館林城址に向かう際にも
一本北側の通りには、多くの見所もあったようです。




きて・みて館林のサイトから拝借しました。

調べてみると、分福茶釜の伝説も
この館林の茂林寺が舞台のようです。



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