太田
Ohta, Japan






群馬県太田市は、スバルで知られる
富士重工業の自動車工場が集まっている街です。

この太田には市のほぼ中央にある金山に
中世から戦国時代にかけての大規模な
山城・金山城があり訪れました。

金山城の様子はこちらです。

太田市についての知識はその程度だったのですが、
現地に行って見ると、新田義貞がこの太田の出であり
由緒あるお寺も多いことがわかり、金山城を訪れた後、
僅かばかりですが、幾つかのお寺を訪れました。


標高235.8mの金山の山頂部にある金山城の西城から
見附出丸を巡り、麓の金龍寺や大光院に
向かうハイキングコースを下ります。



前夜の雨で道が滑り、「スズメバチ」注意の看板もあって
緊張しながら山道を下りました。

山道を降りると、墓地の裏に出て、
その先に、五輪塔が並んでいました。



五輪塔は金山城主だった由良氏の墓所で、
その真ん中に新田義貞の供養塔がありました。
1637年(寛永14年)に新田義貞300回忌法要を
行った時に建立されたそうです。

ここは由良氏が建立した金龍寺の境内で、
由良氏の墓所を拝んだ後に本堂の前に出ました。



お寺の裏口からこっそり入って来たようで、
少々きが引けました。


この金龍寺で、幼稚園の遠足の一団と一緒になり、
この西側にある大光院までの道を一緒になって歩きました。

ハイキングコースに従っていくと大光院に着きます。
ここも、裏口から境内に入りました。

大光院は徳川家康が先祖の新田義貞を祀る為に
1613年(慶長18年)建立されたお寺です。
開山にあたり、増上寺の呑龍上人が迎えられ
大光院の初代住職となったそうです。

その呑龍上人のお墓です。



呑龍上人は、当時行われていた捨て子や
間引きの悪習を少しでも失くそうと
貧しい庶民の子供達を弟子として
寺に受け入れ、養育したそうです。

境内の裏にひっそりと佇む弁財天の社。




そして、大光院の本殿は堂々とした建物で、
その本堂の前に枝振りのいい松の大木がありました。



この松は「臥龍松」と呼ばれているようです。
本堂の右には、御殿建築の様な建物もありました。



この日は、菊花祭りの最中で、菊の花の展示や
境内には出店が出たりして、参拝客も多くいました。

境内の南には屋根に三つ葉葵の
紋の入った立派な門がありました。



大阪城の落城の日に上棟したことから
吉祥門と名付けられたそうです。


大光院からは20分ほどかけて、
東武鉄道の太田駅まで歩きました。
駅の北口には、新田義貞の像がありました。



新田義貞が家康の祖先という事からか、
太田には東照宮もあるそうです。

今残る日光東照宮の建物は、
三大将軍家光が<改築したものですが、
二代将軍秀忠が建てた初代の建物が、
太田の東照宮に移築されたそうで、
国の重要文化財に指定されているとのことです。

殆ど予備知識が無かったのですが、
行ってみて、意外な発見が出来ました。



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