水戸
Mito, Japan







水戸は茨城県の県庁所在地。
以前、国鉄の乗りつぶしをしている時に
一度駅前で泊まった事があったのですが、
観光をした事はありませんでした。

2006年のGWに偕楽園や水戸城を
中心に水戸観光をしてきました。


JR水戸駅を出ると、まずは黄門様、
助さんそして格さんの像がお出迎えです。



天下の副将軍、徳川光圀公は
水戸で一番の知名人かもしれません。

駅前通りを進み、大銀杏の木を過ぎて
左の商店街に入ると、その先の
台地の上に東照宮がありました。



この東照宮は1611年に、水戸藩初代藩主の
徳川頼房公が徳川家康を祭ったものです。

境内には天満宮や水戸城の時報として鋳造された銅鐘、
それに徳川斉昭が攘夷戦に備えて考案したといわれる
安神車というのも展示されていました。

安神車とは大八車の上に鋼鉄製の車室を載せ、
そこから鉄砲を発射するのですが、
牛に牽かせて移動する仕組みで、
実用性には疑問がありそうでした。


東照宮を訪れた後は、水戸城を訪れました。
水戸城は徳川御三家の居城だったのですが、
天守閣も石垣もない地味なお城だったようです。



しかし、さすがに規模は大きく、土塁や
台地を切り裂いたような深い堀もあって
当時の城郭の様子を思い浮かべる事が出来ました。

水戸城で印象的だったのは弘道館です。



1841年に設立された藩校の跡なのですが、
学問や教育に熱心だった水戸藩の
伝統を今に伝えるような厳粛な雰囲気でした。

水戸城の様子はこちらです。


水戸城の見学を終え、水戸駅に向かう途中に
水戸黄門神社がありました。



ここは徳川光圀公の誕生の地です。
徳川光圀公は1628年(寛永5年)に
家臣三木仁兵衛之次の屋敷で生まれたそうです。

水戸黄門神社は、水戸城二の丸から目と鼻の先です。

今では交通量の多い通りに囲まれていますが、
二の丸の土塁を見上げるようなこの辺りは、
当時はこの辺りに水戸藩の重臣達の
屋敷が建ち並んでいたことと思います。


水戸城の見学を終えた後は偕楽園に向かいました。
この偕楽園は1842年に徳川斉昭公によって造園され、
日本三名園の一つとしても知られています。

偕楽園というと梅が有名で春先ともなると
必ずといっていいほどテレビで紹介されます。

幕末の名臣藤田東湖を祀る東湖神社を抜け
偕楽園へと足を踏み入れると
広々とした梅林が広がっています。



東門を入ってすぐの辺りは梅林の根元に
雑草が生えていたりして、三名園という割には
整備されていないなという印象でしたが、
御成門の辺りでは、綺麗に整備された梅林が続いていました。

この御成門から一番北にある表門にかけての辺りは
訪れる人も少なかったのですが、
満開の頃は多くの人で溢れるのでしょう。

梅林を見て歩くうちに表門に辿りつきました。



茅葺の屋根を持つ、風格を感じさせる門です。
木が鬱蒼と生い茂り山奥に足を
踏み入れたような雰囲気です。

表門の背後にある一の木戸をくぐり
一段低くなっている薄暗い湿地を抜けると、
目の前にJR常磐線の線路が見えてきました。

電車の車窓から良く見えるように
偕楽園の碑が建っていました。



この碑の先、高台への階段を
上っていくと南門がありました。



丁度、躑躅が咲いていて、
とても絵になっていました。

この南門をくぐると、好文亭です。



赤いキリシマ躑躅に囲まれた落ち着いた建物です。

偕楽園は水戸藩の藩主だけのものでなく
領民と皆で楽しむ庭園として造られたものですが、
この好文亭にも、庶民のお年寄りや 文人が招かれたそうです。



この写真は、多分西塗縁広間です。
文人が招かれたこの広間からは
綺麗な庭園が望まれました。

狭く急な階段を上り三階に上がりました。
三階からは千波湖や月池の
眺めが広がっていました。



思わぬ広々とした眺めでした。



関東地方のページに戻る

Shane旅日記 日本編に戻る