烏山
Karasuyama, Japan








烏山は、栃木県東部を南北に流れる
那珂川の畔にある城下町です。

江戸時代には、3万石の烏山藩が置かれ
烏山城がその藩庁として用いられていました。

烏山城の登城記はこちらです。






2005年に烏山町と南那須町が合併し、
今は那須烏山市になっています。

市役所の位置している旧烏山町の市街地は
宇都宮市から東に35km程の位置にあり、
JR烏山線が走っています。

烏山線の乗車記はこちらです。


2009年12月に、烏山城を訪れた際に
烏山の街を散策しました。

その際の様子を紹介しようと思います。



JR烏山駅で下車し、烏山城を訪れるべく
市街を北に向かいました。

街中を歩き、まず目に付いたのが山あげ会館です。



この建物は、烏山の名物・山あげ祭りで
使われる屋台(山車)が収納されています。

山あげ祭りは7月の第四金・土・日に行われる
八雲神社の例大祭の奉納行事です。
1560年(永禄3年)に烏山城主・那須資胤が
疫病退散を祈願したのが興りだそうです。


山あげ会館から烏山の市街の目抜き通りに
なっている国道294号線を北に向かいます。



途中で善念寺に立ち寄りました。



善念寺は文禄二年(1593年)の創建のお寺です。
ここから更に北に向かうと造り酒屋のお店がありました。



1849年(嘉永2年)に創業した島崎酒造です。
ブランド名は「東力士」で、予約すれば
酒蔵の見学もさせていただけるようです。

東力士のホームページはこちらです。


島崎酒造の角が「中央」の交差点で、
ここが烏山の街の中心でしょうか。
西側に少し入ったところに那須烏山市の
市役所があって、その裏に八雲神社がありました。



山あげ祭りはこの八雲神社の例祭です。
1560年(永禄3年)に、烏山城主の
那須資胤が勧請したものだそうです。



祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)、牛頭天王です。
この八雲神社の脇に、烏山城への案内板があり、
この案内板に従って、烏山城を訪れました。

烏山城の登城記はこちらです。

しかし、この道は隣の筑紫山経由なので、
かなりの大回りとなってしまうので要注意です。


烏山城を訪れると、冬の短い日は
既に筑紫山に沈んでいました。

烏山城大手門のあった烏山幼稚園入口の
交差点から南に向かいます。



大手門の有った場所からは、城山が見えていました。
ここから暗くなりかかっていましたが、那須氏六代の
お墓のある天性寺を訪れる事にしました。

その途中、街中にいくつも古い蔵や商店を見かけました。



左の写真は、烏山焼のお店です。
烏山焼は昭和56年に始まったようですが
お店の構えは、古くからの歴史ある様子でした。




江戸時代の城下町だった烏山の街を歩くうち、
駅の南にある天性寺に辿り着きました。

天性寺は1199年(正治元年)に建立された古刹です。



天性寺の長い参道です。
この参道の途中に御救小屋跡の碑がありました。



1836年(天保7年)に、天保の飢饉で苦しむ
烏山藩の人々を救う為、二宮尊徳が
建てた救済の為の小屋です。

御救小屋の跡は、小さな空き地になっており
そこに、二宮尊徳を慕う「慕其徳」の碑がありました。

参道の先にある天性寺の境内です。



一段高くなっている天性寺からは
烏山の町を眺める事が出来ました。



日の暮れた町並みに真っ直ぐ
伸びる参道が印象的でした。

天性寺には那須氏六代のお墓があります。



那須氏十三代・資重から
十八代・高資のお墓という事です。

天性寺にはこの他にも、織田信勝がここで信長の
供養を営んだ際の位牌や御救小屋を建てる為に
尽力した円応和尚のお墓などがあるそうですが、
既に夕暮れとなり、那須氏のお墓を詣でて駅に戻りました。

烏山線の乗車記はこちらです。




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