高槻
Takatsuki, Japan


高槻は大阪と京都のほぼ中間に位置する都市で、
多くの人がこれらの大都市に通勤する、いわば
ベットタウンと呼ばれる郊外都市です。

市の真ん中を東西にJR東海道本線や
阪急電鉄京都線、北部を名神高速道路
といった関西地区の主要な動脈が貫いています。

そんな高槻の街ですが、江戸時代にはここに
お城があり、城下町として栄えていました。

高槻城の登城記はこちらです。

2010年に高槻城を訪れた際に高槻の
古い街の様子にも少し触れることが出来ました。

その時の様子を紹介します。

この時はJR高槻駅から南に向かい、阪急電鉄の
高槻市駅を過ぎ、高槻城址に近づくと、
お寺が集まる一角がありました。


撮影: 2010年10月

この辺りは高槻城の鬼門にあたり、
当時は寺町と呼ばれていました。

最も高槻市駅に近いところにある理安寺と
そのすぐ南にある光松寺です。


撮影: 2010年10月

理安寺の創建の時代は判っていないそうですが、
1619年(元和5年)に高槻城主となった松平家信が
先婦人の菩提を弔う為に再興したそうです。

また光松寺も創建の云われは伝わっていないそうですが
江戸時代初期に高槻城の拡張工事に伴って
城内から現在地に移転したそうです。


撮影: 2010年10月

古い町並みの残る寺町の様子です。
この先に本行寺がありました。


撮影: 2010年10月

本行寺の山門は、高槻城の移築門と伝わります。
さすがに城門は堂々としていました。

この日は、この後、高槻城址の散策をしていました。
高槻城は14世紀前半に築城されていますが、
戦国時代には高山右近が城主として12年間滞在し、
江戸時代に入ってからは大坂の陣の後に改修され
近代城郭へと変貌しています。

高槻城の登城記はこちらです。

高槻城址公園の北にある高槻商工会館前には
高槻城の石垣の石跡がありますが、その近くに
高山右近建立の教会跡の碑がありました。


撮影: 2010年10月

キリシタン大名として知られる高山右近は、
キリスト教の布教活動に努め、高槻は当時、
近畿におけるキリスト教布教の中心地だったそうです。

記録によると1574年(天正2年)にこの地に
教会堂を建立したそうです。

この高槻商工会議所会館から道路を隔てた
西側に野見神社がありました。

この野見神社の歴史は古く、宇多天皇
(887年〜897年)の時代に疫病が流行り
牛頭天王を祀れば疫病が治まるとの
お告げで建立されたそうです。

室町時代後期の享禄・天文年間には城主の
駿入江駿河守、和田伊賀守らの信仰を集めた
そうですが、高山右近の時代には神社は廃され
その跡地にキリスト教の教会堂が建てられたそうです。


撮影: 2010年10月

野見神社の境内には永井神社もありました。
永井神社は、江戸時代に高槻城の城主となった
永井氏とその初代藩主・永井直清公を祀った神社です。

調べてみると永井氏の祖先は、知多半島の野間で
源義家を殺害した長田氏で、家康の時に主君殺しに
繋がる姓という事で長田から永井に改姓したようです。


撮影: 2010年10月

野見神社の本殿です。
永井神社には唐門もあったのですが、
訪れた時は修復中でした。

野見神社の北側に高槻現代劇場文化ホールがあります。
そこには藤井竹外邸跡の案内板がありました。


撮影: 2010年10月

藤井竹外は初めて聞く名でしたが、江戸時代
末期の漢詩家で、この地で生まれたそうです。

高槻現代劇場文化ホールの北側には
教会がありました。


撮影: 2010年10月

高山右近の作った教会は、右近が船上城に
移った後に壊されてしまっていますので、直接の
関係はないと思うのですが、高山右近の像や
彼を洗礼名で呼び、称える碑がありました。


撮影: 2010年10月

それだけでなく、教会の壁には
高山右近と思われる人の壁画もありました。


撮影: 2010年10月

高山右近は、高槻を離れた後、船上城に入りますが
その直後に秀吉からバテレン禁止令が出され、一旦
加賀藩に招かれますが、江戸時代に入り家康が
キリシタン追放令を出すと、マニラに移住したそうです。

400年の時を経て、今なお高槻の地で教会に篤く
扱われている右近は、日本でのキリスト教の
発展に貢献したし、人徳も篤かったのでしょう。

しかし、その一方で、神社やお寺には迫害を加え
打ち壊しを行っていた事は記しておく必要があると思います。

高槻城を訪れた際に、ざっと見て回っただけの
高槻の街の散策ですが、思っていた以上に
収穫のあるものになりました。

高槻駅に戻る途中にも古い町家を見かけました。


撮影: 2010年10月

ふいにこうした古い家を見つけると
なんだか得した気分になります。

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