高野山
Kouyasan, Japan




弘法大師開基、真言宗大本山金剛峰寺の高野山は、
険しい山中に潜む宗教都市といった感じです。

山深い南海電鉄の極楽橋駅から
更にケーブルカーで山を登って行きます。
ケーブルカーの終着からバスに乗ると、
深い山のなかに思わぬ街並みが広がっていました。

高野山までの様子は、 こちら です。


高野山の歴史は紀元816年、弘法大師が
真言密教・根本道場を開いたのが始まりです。
でも、金剛峰寺の歴史は意外に新しく、
豊臣秀吉が母の菩提をともらう為、
建立した寺で、1593年の事だそうです。



下の写真は確か、金剛峰寺の庭と思います。
静かな庭を眺めていると、心が落ち着きます。




高野山には、金剛峰寺以外にも多くの堂塔があり、
見事な高野槙に囲まれ、ひっそり佇んでいます。

町の中心に近い千手院橋から、
これらの建物を眺めながら、歩いてみました。



観光客もあまり見かけず、
静寂とした境内を歩いていると、
心が引き締まります。

そして町の西の外れにある、大門です。



朱塗りの大きな門が町外れに建っていて、
ここから一歩出ると、深い山になります。
この門は古くは藤原時代につくられていたそうです。
その昔、長い山道を登ってきた高野詣での人々を、
この門が出迎えていたんですね。
僕は気が付かなかったのですが、
ここからは遠く和歌山の街並みが望めるのだそうです。


再び千住院橋に戻り、今度はバスに乗り
高野山の最も東にある奥の院に向かいました。
この奥の院こそ、空海が真言密教の根本道場を
開くために篭ったところです。

参道の両脇には夥しいほどのお墓が並んでいて、
高野槙の生い茂るあたりの様子とあいまって、
昼間でもちょっと居心地が悪いほどです。

どういういきさつかはわかりませんが、
武田信玄や明智光秀、徳川吉宗といった
名前を知られた人のお墓もあるのです。

生憎帰りのバスの時間が近づいて、
大師御廟までは辿り着くことが出来ずに、
バス停まで戻る事になってしまいました。


この日は4月も半ば過ぎでしたが、
山深い高野山では、丁度桜が満開でした。



これは確か、「六時の鐘」という
鐘楼に咲いた桜の花です。

鉄道旅行の僅かの合間に訪れた高野山でしたが、
とても味わい深いいい旅となりました。



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