尼崎
Amagasaki Japan
尼崎は大阪と神戸に挟まれた
阪神工業地帯にある街です。
海岸線は工業地帯が続き、
内陸には住宅地の並んでいます。
その尼崎にも江戸時代には尼崎藩が置かれ
4重の天守が建つ尼崎城が築かれていました。
尼崎城の登城記はこちらです。
この尼崎城の西側には、
お寺が並ぶ寺町があります。
尼崎城の散策を終えて、
この寺町界隈に向かいました。
桜井神社から庄下川を渡った
ところにあった飴屋さんです。
この飴屋さんの名前は
「琴城ヒノデ阿免本舗」
琴城は尼崎城の別名です。
この先にお寺が集まる一角があります。
まずは全昌寺です。
新しくなった立派な塀が見事でした。
この全昌寺は、1617年(元和3年)に尼崎城主となった
戸田氏鉄の菩提寺が、移封に伴って
大津からこの地に移って来たものです。
全昌寺の先を西に向かっていくと
立派な山門が現れました。
法華宗四大本山の一つ本興寺です。
日隆上人が1420年(応永27年)に開基した寺院です。
日隆上人は本能寺も創建しており、
法華宗本門派の祖と言われる名僧です。
この本興寺は、室町幕府の管領職だった
細川満元の庇護の下に築かれたそうです。
1827年(文政10年)に再建された本堂です。
この本堂の北側には方丈(下写真右)と
開山堂(下写真左)がありました。
方丈は1617年(元和3年)に建立され、
重要文化財に指定されています。
開山堂は1466年(文正元年)に建立され
1558年(永禄元年)に改修されています。
この更に北側に建つ三重塔です。
予備知識なく訪れた本興寺ですが
多くの重要文化財のある大きな寺院です。
こちらは、本堂の西側にある御霊水井戸です。
本興寺を開いた日隆上人が
1420年(応永27年)に掘った井戸です。
それ以来、水が湧き続けているそうです。
そして本堂の南側に回り込むと
三光堂と鐘楼がありました。
三光堂は16世紀末頃に建てられ、
1617年(元和3年)に現在地に移されたようです。
この三光堂も国の重要文化財に指定されています。
思いがけず見所の多かった本興寺を辞し
阪神電気鉄道の尼崎駅に向かう途中、
旧開明小学校の跡地前を通りかかりました。
その塀には、銃弾の跡が残されていました。
第二次大戦中の米軍機の機銃掃射によるもので、
1945年(昭和20年)3月から8月までの間の事の様です。
尼崎はこの間に10回にわたる空襲を受け、
死者479人、家屋全焼1万1千戸、罹災者総数
4万2千人の被害があったようです。
日本が一方的な被害者では無かったこの戦いですが
平和な世が築かれるまでの長い長い道のりを知り、
それを保ち続ける事の重要さを噛みしめたいと思います。
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