尾道
Onomichi, Hiroshima








尾道は、瀬戸内海に臨む坂道と
お寺の多い風情ある街です。

瀬戸内海に浮ぶ島々が作る
狭い尾道水道と、背後の山に挟まれ
細長く街が続いています。

狭い路地が多く、林芙美子さんをはじめ、
多くの文学の舞台になった街です。


尾道駅のコインロッカーに荷物を預け、
駅から昔ながらの商店街を1km程
歩いていくとロープウェー乗り場に辿り着きます。

商店街は幾つもの狭い横丁が交差していて、
どこと無く昭和の雰囲気が漂っています。

そのロープウェー乗り場は艮神社のすぐ脇です。



鳥居越しに山腹に千光寺の
朱色の建物が見えています。

満員のロープウェーで千光寺山の
山頂を目指しました。

ロープウェーの右手車窓からは妙宣寺や
善勝寺の伽藍がすぐ近くに見えています。

ロープウェーが高度を上げ、山肌に近づくと
千光寺の伽藍が、すぐ目の前に迫ってきます。



その伽藍をギリギリでかわすように
ロープウェーが進んでいきました。

写真左手にちらっと見えるのは玉の岩です。
この岩が尾道の街や海を照らしていたので、
千光寺という名前が付いたそうです。

短い乗車時間でしたが、
山肌に沿って飛ぶような感じでした。



ロープウェーを降りて眺める尾道の街です。
どんよりとした天気で霞んでいますが、
山肌と尾道の間の狭い土地に
家がぎっしりと並んでいます。

そして、向島との間に挟まれた狭い尾道水道。
四国へと続く瀬戸内しまなみ海道の
尾道大橋も見えています。


ロープウェーの山頂駅のすぐ上には展望台があり、
尾道の街がパノラマのように見えました。



この景色を眺めているうちに、
雨が降り出してきました。

千光寺へ向かう、「文学のこみち」という
散策路が整備されていています。
その散策路を下る事にしました。

散策路に沿って徳富蘇峰に始まり、正岡子規や
志賀直哉ら25もの碑が立っています。

この日は、尾道縁の林芙美子の碑です。



海が見えた。海が見える。
五年ぶりに見る尾道の海はなつかしい、


碑には 「放浪記」の一節が刻まれていました。


いくつもの碑を眺めながら坂道を下ると
千光寺の裏手に出ました。
岩肌に鏡岩と呼ばれる大きな岩がありました。



この岩は太陽や月の光を反射すると言われ
信仰の対象になっていたそうです。

客殿の前に出ると、視界が開け
尾道の街が見えます。



先ほど乗ったロープウェーが
すぐ近くを通って行きます。

そしてこれは鐘楼と玉の岩です。



雨脚が強く、カメラが曇ってしまっていました。

本殿を抜けると、再び大きな岩が現れました。



これはくさり山で、修行の為に
鎖で山を上れるようになっています。

一般の人も挑戦出来るようですが、
この雨ではとても危なくて出来ません。


雨にたたられた事もあって、
806年(大同元年)弘法大師によって
開基されたという千光寺を後にしました。



上の写真は、尾道の街へと続く
階段からの写真です。
本殿は舞台造りとなっています。

坂道を下っていくと三重の塔が見えてきました。
天寧寺の三重の塔です。

 1

そして坂道を真っ直ぐ降りていくと
崩れかけた土塀が趣のある
千光寺道でした。

ここから信行寺、志賀直哉の旧居そして
宝土寺に行こうと思うのですが、
観光協会で入手した地図がいま一つ
不正確で何度も道を間違えます。

そして、やっと辿り着いた信行寺です。



建立は1214年(建保2年)、浄土宗第二祖の
聖光が開いたお寺という事です。
ひっそりとした感じのお寺でした。

信行寺を訪れた後、再び千光寺道を上り、
志賀直哉の旧居に向かいました。
その途中の千光寺新道の様子です。



江戸時代を思わせるような塀が続き、
折からの雨でしっとりとした雰囲気でした。
この辺りから狭い路地に入り、
志賀直哉の旧居に辿り着きました。



ここは1912年(大正元年)に志賀直哉が
移り住んだところです。
「暗夜行路」もここで執筆されたそうです。


志賀直哉の旧居を出て、千光寺新道を下り、
宝土寺に向かいました。



千光寺新道の坂を下りきった辺りの様子です。
尾道は、趣のある坂道の多い街です。

そしてこちらが宝土寺です。



境内に、赤茶けた紅葉した葉を
僅かだけ残している木がありました。
ここもひっそりとしたお寺です。

天寧寺から信行寺、そして宝土寺と
石畳の道が整備された古寺めぐりコースに
なっているのですが、この雨で
あまり歩いている人はいないようです。


宝土寺の西隣にある吉備津彦神社を抜け、
光明寺へと向かいます。



光明寺は9世紀前半に建立されたという古刹です。
平安後期の重要文化財の観音や
尾道市最古の仏像があるそうです。

境内には、横綱「陣幕」のお墓と手形がありました。



陣幕は幕末の頃の横綱で、産まれは島根県ですが
19歳の時にこの尾道に出てきたそうです。
横綱「陣幕」の手形は、びっくりする程大きかったです。

光明寺からは持光寺を経て尾道駅に戻りました。
今回は、千光寺から古寺巡りコースの
西半分を歩いただけでした。
尾道にはこの他にも西國寺、
浄土寺といった古刹があります。

またゆっくりと尾道の街を歩いてみたいです。



中国地方のページに戻る

Shane旅日記 日本編に戻る