新発田
Shibata, Japan





清水園の様子です



新発田は新潟市の東、
30km程のところにある街です。

2006年12月、新発田城を訪れた際、
行きは駅からタクシーに乗ってしまったので、
帰りは、街中を歩いて駅に戻る事にしました。

新発田城の様子はこちらです。

お城を後に、住宅地を歩いていくと、
変形交差点に行き当たりました。

二の丸と三の丸との間にあった
大手中の門跡の案内板がありました。



市街地になってしまった城域ですが、
高札を模したような案内板が
少しでも当時の様子を伝えようと言う
新発田市の姿勢を表しているようで、
嬉しくなってきます。

しばらく歩いていくと通りの向こうに
新発田市民文化会館が見えてきます。



この建物の脇に旧三の丸の碑が建っています。
街の至る所にお城の遺構を示す碑があるようです。

この辺りから旧三の丸の跡地に、
図書館や市役所、地方裁判所といった
官庁の建物が並んでいます。

そこを抜けると今度は大手門跡の案内板です。



門があった辺りは今では警察署になっています。
そのすぐ近くには大手櫓跡の標識も建っています。
大手櫓跡には城門を模したゲートが建っていました。



この辺りは新発田の街の繁華街になっています。
駅前からの大通りの脇には
「札の辻」の碑が建っていました。
高札が掲げられた場所でしょうか。



この札の辻の東側には南北に
お寺が連なる寺町があります。

当時はお寺が城外の守りになっていたのですが、
今でも、多くのお寺が残っています。

そのお寺の中でも宝光寺は
藩主・溝口家の菩提寺だったお寺で、
最も格式のあるお寺です。



この立派な山門は、火災に遭った後、
1845年(弘化2年)に再建されたものです。

境内をゆっくり歩いてみたいお寺ですが、
夕暮れが迫り、早々に辞しました。

駅の観光案内でもらったパンフレットにあった
清水園になんとか行きたかったのです。

清水園は藩主の下屋敷にある庭園です。



この下屋敷は「清水御殿」と呼ばれ、
御殿が建てられたのは、
1666年(寛文6年)の事でした。

古風な門をくぐり、園内に入ります。
冬の見学時間の午後4時半が迫っています。
庭園は池を中心に、その周囲に書院や
東屋をいくつか配した造りになっています。



既に夕暮れが迫り、園内の灯が明るく輝いています。
時間も遅いせいか、他に訪れている人もいない、
ひっそりとした庭園でした。

この清水園の道路を隔てた向かいには
江戸時代当時の足軽屋敷が残っています。



1842年(天保13年)に建てられたそうです。
全国でも江戸時代の足軽屋敷が
残っているのは非常に珍しいとのことで、
国の重要文化財に指定されています。

棟の高さが低い建物が長屋のように
連なった構造になっています。
当時の足軽達の質素な生活ぶりが
偲ばれる足軽屋敷でした。


新発田へは城址だけが目当てに来たのですが、
街中にも城址の後や江戸時代の建物が幾つも残っていて、
歴史を大切にしている、いい街でした。



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