四谷千枚田
Yotsuya Senmaida, Japan






千枚田というと、能登半島や長野県・姨捨の
田毎の月を思い浮かべていましたが、
愛知県にも千枚田があるというので、
2008年3月に出かけて来ました。

自転車で四谷千枚田に向かった時の様子はこちらです。


鳳来寺から寒狭川の支流の
海老川に沿って山間を走って行きました。



遠くに鞍掛山が見えています。
四谷千枚田はこの山の麓に広がっている筈です。

池貝塚という小さな集落で田峰に向かう県道と別れ、
鞍掛山の麓を目指します。



道端に小さな石仏がいくつも並んでいました。
ここを過ぎてしばらく自転車を走らせると
目の前に四谷千枚田が広がってきました。



急に広々とした景色となり、
山の中腹まで続く田圃が見事です。

この場所は、1904年(明治37年)に
大雨が続いて山津波が発生したそうです。
家屋10戸が流され、11名の方が亡くなる大惨事でした。

その山津波が襲った谷を、村人達が
人力で復興したのが、この四谷千枚田だそうです。

田圃は全部で1,296枚あり、
一枚の大きさは平均で
0.9アール(90平米)だそうです。



この美田は、土砂が流れ、家が押しつぶされた谷を
人力で田圃に作り変えていった人達の
汗と苦労と努力の賜物です。

棚田と棚田を別ける石垣が山麓から
山腹へと幾段も続いています。

中にはお城の櫓台のような
立派な石垣もありました。



こうした石垣を見ると、この棚田を作るのに
本当に多くの労力が費やされた事がわかります。


棚田の続く山肌の坂道を登っていくと、
千枚田を上から見下ろすようになりました。



遠くに山々が連なり、胸の透くような景色でした。


3月に出かけた際には、田圃には水が張られていなかったので
2009年6月に再び、四谷千枚田を訪れました。



3月に訪れた時よりも瑞々しい光景です。
田圃のあぜ道には紫陽花の花も咲いていました。




四谷千枚田の最上部に向かう途中、
棚田を上から眺められる場所がありました。



石垣で、一つずつ丁寧に区画された小さな田圃。
青い稲が並び、心和む景色です。

この先で、野生の猿の一団に遭遇しました。



人に慣れてはいないのか、
山の方に逃げていってしまいました。

3月の時と同じように、四谷千枚田を
棚田の最上部の展望台から眺めてみました。



湿気が多く、遠くの山は霞んでいましたが
早春の頃にもまして、綺麗な景色でした。



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