市振
Ichiburi, Japan






一家に 遊女も寝たり 萩と月

「奥の細道」で芭蕉が詠んだ句です。
芭蕉がこの句を詠んだのは
1689年 7月12日(陽暦では8月末頃)
場所は市振宿、今の新潟県頚城郡市振町です。

芭蕉は親不知、子不知の難所を過ぎ、この日の夕方
市振の宿に辿り着き、投宿したのですが、
宿の隣の部屋、といっても当時のことなので、
襖一枚隔てて泊っていた、伊勢に向かう遊女の
ことをこの句に詠んだのです。

「奥の細道」によると、伊勢詣でするという遊女に
道案内してくれと、涙ながらにお願いされるのですが、
それを断って、曽良との旅を続けたそうです。


親不知海岸に近いこの宿場町に出掛けたのは、
1993年の12月26日のことです。

会社が冬季休業に入った直後、
クリスマスの日の夜、名古屋から東京に向かい、
上野駅から金沢行特急「北陸」のB寝台個室で
高岡に出て、一旦北陸線を筒石まで戻った後
市振に向かったのです。

筒石駅の様子は こちら です。


市振の街並みは駅から数百メートル程東に入ったところです。
南側に山が迫っていて狭い街道の両脇に家が連なっています。
午前10時というのに冬の日はまだ差し込んでいませんでした。


街道の入り口に旧関所跡がありました。



活気のない市振の街。行き交う人もあまりいません。
道を歩いていると、「どちらさんですか?」と、
声を掛けられそうな気がします。


街道を歩いていると、道端に碑が立っていました。



奥の細道 市振宿桔梗屋跡。
3百年前芭蕉が泊った宿屋跡です。
ごく普通の民家が建っているこの場所に、
3百年前、芭蕉が旅の一夜を過ごしたのです。

集落が尽きたあたりには、句碑が建っていました。




海岸線に出ると、遠く親不知の断崖が見えます。
山が海に落ち込んでいて、道路が崖に
へばり付くように通っています。

その昔は、海岸線を行くしか手立てはなかったそうです。
その海岸線は波に浚われていて、全く歩く余地はありません。



この難関を通り過ぎた芭蕉は、この景色を見て、
どんな思いに駆られていたことでしょうか?



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