海野宿は中山道の追分宿から千曲川に沿って
北陸に向かう北国街道の宿場町です。
もともとは隣の田中宿の脇宿の位置づけでしたが、
田中宿が洪水の被害にあった1742年以降は、本陣が移され、
最盛期には旅籠屋が23軒も軒を連ね、
大変な賑わいであったそうです。
明治以降、鉄道と国道がこの海野宿を通らなかったため、
昔ながらの家並みが今に伝えられているのです。
2004年の夏、上田市の上田交通の路線に乗った際、
足を延ばしてこの海野宿に行って見ました。
篠ノ井からの、ながの鉄道の電車を大屋駅で下車し、
タクシーで海野宿に向かいました。
交通の便が悪くて、明治以降の発展が止まってしまった町故に
鉄道の駅からの便が悪く、大屋駅と次ぎの
田中駅のどちらからも2km程の距離です。
宿場の入口でタクシーを下りると、用水路が流れ、
その脇に柳の木が立ち並ぶ道の両側に家並みが続いています。
道を歩く人も見当たらず、比較的現代風の
家が多いなというのが第一印象だったのですが、
街道を東に向かううちに、江戸時代を
彷彿とさせる古い家が増えてきました。
格子戸の古い家。
2階の格子は長短の格子が組み合わさっていて、
海野格子と呼ばれるそうです。
そして、その隣の蔵造りの家。
「日本の道100選」の碑も立っています。
堰と呼ばれる用水路の脇には
花が飾られ、宿場に彩を添えていました。
本陣の跡を過ぎ、いよいよ当時の面影を残す家が増え、
街道の様子も趣きを増してきました。
さすがにこの辺りには観光客の姿も増え、
道端で写生をしている人も見かけました。
この海野宿は「重要伝統的建造物群保存地区」にも指定されています。
堰の脇に植えられた柳が夏空に映え、
とても絵になる景色です。
漆喰の立派な卯建(うだつ)の屋敷。
海野宿は、宿場町として寂れだした時、
広い建物を利用した養蚕業で栄えたそうです。
その様子を伝える資料館もあり、立ち寄って来ました。
そして、650mほどの海野宿の東の端、
白鳥神社に近づいてきました。
大きなケヤキの木が街道にまで張り出し、夏空に映えています。
この景色、幼い頃からの原風景といった感じで、
いつまでも見ていたい景色でした。
このケヤキの木のところに白鳥神社があります。
平安・鎌倉の頃、この地を治めていた
海野氏の氏神だった神社だそうです。
春に大きな例祭が行われるそうですが、
この日の境内には、お婆さんに連れられ、
遊んでいるお孫さんの声が響いているだけでした。