アムステルダム
Amsterdam, Netherlands
オランダの首都アムステルダム。
街中に運河が張り巡らされた、水の都です。
アムステルダムではまず、王宮に向かいました。
実は王宮を真っ先に目指したのは、
アンネの隠れ家に行くのに、
いい目印だったからです。
アンネの隠れ家は
こちらです。
ここは、オランダ国王の
アムステルダムでの住居です。
王宮はダム広場に面して建っています。
13世紀にアムステル川に作られたダムが
この広場の始まりで、まさにここが
アムステルダムの起源です。
広場には綺麗なゴシック調の新教会も建ち、
広場に溢れるほどの人々といい、
ここがアムステルダムの中心の様です。
ところで、アムステルダムは
オランダの首都と認知されていますが、
国王の居住地はアムステルダムの西、
オランダ第三の都市ハーグにあり、
国会議事堂等、政治の中心もハーグです。
政治機能が存在している都市や
その国の元首の居住地を
首都としている国が多いのですが、
アムステルダムは例外のようですね。
アムステルダムでは、運河巡りもしました。
東京駅のモデルとなったと言われる中央駅の
近くに運河めぐりのボート乗り場があります。
中央駅前に聳える聖ニコライ教会の前の運河を通り、
Oosterdok(東港)からOudeschansに入りました。
モンデルバーンズ塔が青空に聳えていました。
運河に沿って、並木が続き、
その奥に煉瓦の家が続いています。
アムステルダムの家は、間口が狭く、
4階建て以上の背の高い建物が多く、
そして窓がとても大きいのが特徴です。
間口が狭いのは、昔間口の広さによって、
税金を課されていた為だそうです。
そして、狭い間口で高い建物では階段が急で、
上の階に家具を運び入れるのが困難になります。
そこで、アムステルダムの人は、窓を大きくして、
ここから家具を運び入れたそうです。
丁度、建物の上に付いている滑車を使って
窓から家具を運び入れているのも見かけました。
今でもこの大きな窓が役に立っている様です。
ボートはその後、Amsterdamに残る唯一の木造の跳ね橋、
マヘレの跳ね橋を眺め、ヘーレン運河に入りました。
これがマヘレの跳ね橋です。
この写真はボートからではなく、
運河沿いの小道から撮ったものです。
夜にライトアップされたこの橋は、
とても綺麗だそうです。
この後、ボートは、ヘーレン運河から、
中央駅の裏側のアムステルダム港を回り、
街の様子を、見せてくれました。
アムステルダムでは、街を歩いていても、
到る所で運河の綺麗な景色を眺められます。
これは、ムント塔の向いに建つ高級ホテル、
デル・ヨーロッパの近くの様子です。
アムステルダムは運河の街であるとともに、
とても活気のあるオランダの経済の中心地です。
街並みは古く、通りは広くは無いのですが、
その路地に縦横に車や路面電車、自転車、
そして、人々が行き交い、とても賑やかな街です。
特に、街中に自転車が溢れているのが驚きです。
交差点を渡る時には、車・路面電車そして自転車と、
3回も注意を払わないといけないので、
慣れていないとちょっとまごつきます。
そんな活気溢れるアムステルダムの
象徴的な場所がレンブラント広場でした。
この広場は、アムステルダム名産・
ダイヤモンド店の近くにあるのですが、
周囲にはナイト・クラブも多く、
ちょっと危ない気配が漂っています。
でも、この広場には、日中多くの人が集まり、
広場の前の狭い道には、路面電車・自転車
そして歩行者が入り乱れていました。
Anne Frank Huis
Amsterdamにはアンネ・フランクが
ナチスの迫害から逃れ住んだ
隠れ家があります。
ダム広場から、王宮の脇の
路面電車の走る狭い通りを抜け、
いくつか運河に架かる橋を渡り、
瀟洒な西教会の角を曲がります。
西教会の前にはアンネの像が立っていました。
運河沿いには、アムステルダム特有の
窓の大きな家が立ち並んでいます。
アンネの隠れ家は、3つ目の建物。
標識が出ていないのですが、
入口に並ぶ人の列でわかりました。
アンネは1929年にFrankfurtに生まれたのですが、
ナチスが1933年にドイツで政権を握った後
ユダヤ人に対する弾圧を強めたので、
1935年、アムステルダムに移り住んできたのです。
アンネの一家が移り住んだオランダも第二次大戦で、
ドイツ軍に侵攻され、ここも安住出来なくなり、
ついに1942年7月、アンネ一家は父オットーの会社の
使われていない部屋に隠れ住むことになりました。
アンネが誕生日プレゼントに日記帳を貰って
3週間程たった時のことです。
アンネの隠れ家に入ると、まず一階で
当時のナチズムの様子のビデオを見た後、
父オットーの会社の事務所を通って、
アンネの隠れ家に進みます。
建物の間口は狭く、
奥に広い構造になっていて、
狭く急な階段を登っていくと、
事務所と隠れ家を隔てる本棚に出ました。
段差に気をつけながら、
奥に進むとここが隠れ家です。
部屋の中はガラーンとしていて、
ここに8人もの人が隠れ住んでいたとは、
はじめは信じられない気がしました。
でも、アンネが壁に貼った映画スターの写真や
ペーターが誕生日に貰ったゲーム見ると、
確かにこの場所に、2年以上もの期間に亘って
この空間に閉じ込められていたと言う事実が
ひしひしと伝わってきました。
日中には、階下の従業員に気付かれないように
トイレどころか音も立てられない生活。
いつこの隠れ家にゲシュタポが
踏み込んでくるか判らない恐怖。
隠れ家生活は今では想像も出来ない
緊張の連続だったことと思います。
隠れ家には、時折西教会の鐘の音が響いてきます。
アンネも毎日聞いていた鐘の音。。。
そして、アンネ達の隠れ家生活は、
1944年8月4日に終わります。
何者かに密告され、ゲシュタポに
強制連行されたのです。
オランダからアウシュビッツに向かう
最後の列車に乗せられた8人のうち、
強制所生活を生き延びたのは、
アンネの父オットーただ一人だったそうです。
ユダヤ人を苦しめたナチス・ドイツは
1945年5月降伏したのですが、
この第二次大戦で虐殺されたユダヤ人は
なんと600万人にものぼるそうです。
アンネのように隠れ家ではなく、
廃墟の町を毎夜逃げるように逃げていた人たち、
あるいは、強制収容所に着いたすぐその日に
ガス室に送られた人達。。。
遠い遠い昔の出来事の様に思えるのですが、
ナチスの狂気を産んだ民族主義・全体主義は
今でもこの地球上に存在しています。
"いつかはきっとわたしたちがただのユダヤ人ではなく、
一個の人間となれる日がくるはずです" (アンネの日記)
ドイツで住んでいて、ストレスを感じると、
「ドイツ人は!」などと怒っていた僕などは、
もう恥かしくて、居たたまれない様な気持ちでした。
いつの日にか、人々の心にある
人種差別的な気持ちが無くなり、
紛争のない平和な世の中が
きっと来ると信じています。
Hotel Information
Novotel Amsterdam
Europaboulevard 10
NL-1083 AD Amsterdam, Netherlands
Tel: (+31) 20-541-11 23
Fax: (+31) 20-646 28 23
URL: http://www.novotel.nl
E-Mail: H0515@accor-hotels.com
Amsterdamの南の郊外、Raiにあるホテルです。
街の中心部からは、少し離れていますが、
中央駅へはメトロ51号線で20分程、
中心街へは路面電車の4号線でも出かけられます。
Restaurant Information
Ristorante Pizzeria Collina
Rozeugracht 24, NL-1016,
NC Amsterdam, Netherlands
Tel: (+31) 20-638244
アンネの隠れ家の近く、クレスク通りを
西に行った所のイタリアンです。
ダム広場周辺には色々レストランがあったのですが、
すっと入れる雰囲気の店が少なかったのですが、
ここは気楽な感じのお店でした。
Cafe Katoen
Oude Turfmarkt 153, NL-1012
GC Amsterdam, Netherlands
Tel: (+31) 20-1234567
デル・ヨーロッパの向かいにあるカフェ。
ホテルの朝食が高そうだったので、
毎朝ここで朝食を食べていました。
休日の朝でも営業していました。