|
|
|
ヴルタヴァ川東岸の旧市街から
細い路地を抜け、カレル橋のたもとに着き、
目の前にプラハ城が現れた時の感慨は、
きっと忘れる事が出来ないでしょう。
カレル橋は14世紀から15世紀にかけて作られた
プラハ最古の石橋で、橋の欄干には聖人像が並んでいます。
プラハ城に向かう多くの観光客はこの橋を渡る様で、
橋には色んな露店やストリート・パフォーマンスの
人達が並び賑っています。
上の写真はカレル橋のたもとに建つ塔からの眺めです。
プラハやカレル橋の昔の写真が展示してあるのですが、
カレル橋は洪水で流された事もある様です。
それではさっそくプラハ城に向かおうと思います。
カレル橋を渡り聖ミクラーシュ教会の前を横切り、
細い路地に入っていくと階段が続いています。
この階段はプラハ城へ続いているのですが、
観光客の姿は少なくひっそりとしていました。
この階段を登ったところがプラハ城の
玄関口にあたるフラッチャニ広場です。
ここの広場は、どこから現れたのか?
と思うほど、沢山の観光客で溢れていました。
ガイドブックに拠るとチェコの歴史は複雑で、
7世紀以降多くの豪族・王族がこの地を治め、
その都度暗殺や隣国との争い等、
血で血を洗うような抗争が繰り広げられていたそうです。
14世紀にルクセンブルグ王朝のカレル一世が王位に就き、
現在見るプラハの街が整えられたそうで、
このプラハ城もその当時のものだそうです。
カレル一世はカレル橋に名前を残している人で
神聖ローマ皇帝にも選ばれたそうです。
城内には聖ヴィード城、旧王宮、聖イジー教会などがあります。
抜け建物の下をくぐり中庭をいくつか抜けると、
突然目の前に聖ヴィード城のファサードが現れました。
大きな豪華に装飾されたファサードの様子は、
もの凄い迫力で、圧倒されてしまいました。
この聖ヴィード城の塔に登りプラハの街を眺めるのを
楽しみにしていたのですが、工事中で無理でした。
この写真は聖ヴィード城の向かいの王宮です。
今は警察署になっていますがセンスのいい建物です。
そしてこれは黄金小路と呼ばれる城内の路地です。
黄金小路はもともとは城内で働く
召使達の住居だったそうですが、
ここに錬金術師達が住み着くようになり、
黄金小路という名がついたそうです。
ちなみにこの写真の青い壁の家は昔、
カフカが住んでいたという家です。
今ではこれらの家はお土産屋さんとなり、
もの凄い数の観光客で溢れていて、
身動きも取れない状況でした。
混雑するプラハ城を抜け、東の端にある
黒塔までやって来ました。
ここからプラハの街が見下ろせます。
ヴルタヴァ川の両岸に並ぶ赤い屋根の家々。
古い歴史を持つプラハの街の様子です。
ヴルタヴァ川の別名は「モルダウ」。
川の流れをぼんやりと眺めていると、
スメタナの「我が祖国」の曲のメロディーが
頭に浮かんできます。
プラハ城の見学を終え、フラッチャニ広場から
このプラハの街を眺めていた時、
近くで弦楽四重奏のストリート・ミュージシャンが、
この「モルダウ」を演奏し始めました。
演奏はあまり上手では無かったのですが、
モルダウ川を遠くに眺めながらの演奏は、
とても印象的でした。
これはカレル橋からみたヴルタヴァ川。
赤い屋根の古い街並みのなかを
滔滔と流れる川を眺めていると、
時の経つのを忘れてしまいます。
プラハ城に登った後、旧市街地を散策しました。
旧市街地の一番の見所は旧市街広場でしょう。
チェコの宗教改革の先駆者で、その為に殉教した
ヤン・フスの像を中心に広がる石畳の広場の周りには、
旧市庁舎、ティーン教会やゴルツ・キンスキー宮殿等、
ゴシック様式やロココ様式の建物が立ち並んでいて、
中世の時代に逆戻りしたかのような空間になっています。
夏の夜9時頃、ようやく傾きかけた西日に照らされた、
ティーン教会とゴルツ・キンスキー宮殿です。
この広場には多くのレストランがテラス席を出していて、
ゆったりとした雰囲気で夜のひと時を楽しめます。
これは旧市庁舎の時計台です。
毎時丁度にはからくり人形が現れるので、
時計台の前は人だかりが出来ていました。
この市庁舎の前には戦争で敗れ処刑された
指導者の首を置いた跡という十字架があったそうですが、
見落としてしまいました。
プラハはプラハ城だけでなく、
ヴルタヴァの両岸に広がる赤い屋根の
家々の様子とかとても綺麗な街でした。
今回は街をあまり見てまわる事が出来なかったし、
街中に観光客が溢れていたりしたので、
秋か冬、街が落ち着いた時期に、
もう一度訪れて見たいと思いました。