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鉄道旅行へのいざない



西日本鉄道・貝塚線 (貝塚 - 西鉄新宮)
Nishi-Nihon Railroad, Kaizuka Like
(Kaizuka - Nishitetsu Shingu)



乗車日:Jan. 05, 2008






西日本鉄道貝塚線は、貝塚駅から
JR鹿児島本線に沿うように北上し、
西鉄新宮に至る11.0kmの路線です。

貝塚では福岡市地下鉄箱崎線と接続していますが、
他の西日本鉄道の路線とは独立しています。

軌間(レールの間隔)も1067mmと、他の路線が
1435mmとなっているのとは異なっています。




この貝塚線の歴史は1924年(大正13年)5月23日に
、 博多湾鉄道汽船による新博多 - 和白間の開業に始まります。
1942年の西日本鉄道への吸収合併より、
西日本鉄道宮地岳線となります。

その後、1951年(昭和26年)までに 津屋崎迄延長され、
1954年(昭和29年)には、多々良(現・貝塚)から西側の
福岡市内の路面電車の運行形態に含まれました。

この後は、貝塚 - 津屋崎間の路線として長く定着し、
1986年には福岡市地下鉄箱崎線が貝塚まで開業し、
接続駅となります。

しかし2007年4月1日に西鉄新宮 - 津屋崎間が
廃止となり、残された貝塚 - 西鉄新宮間が
宮地岳線から貝塚線という名称に変わりました。


宮地岳線には1992年(平成4年)10月に
津屋崎まで乗車しているのですが、
香椎宮前 - 西鉄香椎間が線路付け替えの為
2006年(平成18年)に営業距離数が変更になったので、
この区間0.5kmが未乗車区間として残っていました。

福岡城を散策した後、福岡市地下鉄の赤坂駅から
13:32に貝塚行きの電車に乗りました。

福岡城の登城記はこちらです。


貝塚には13:46に着き、2分の乗り継ぎで
西鉄貝塚線の電車に乗り込みました。


クリーム色に赤い帯の2両編成の電車です。



発車間際に乗り込んだのですが、
車内は空いていて、運転席後ろの
スペースを確保する事が出来ました。

13:48、定刻に発車です。



発車してすぐに車両基地をかすめ、
多々良川の鉄橋を渡っていきます。



鉄橋を渡ると、進行左手に寄り添っていた
貨物線がオーバークロスして行きます。



後で、地図をみてみると、
鉄橋を渡ったこのあたりに
福岡城の前身の名島城があったようです。

やがて、高架となり名島駅に到着です。



この名島からはJR鹿児島本線と
しばらく並走していきます。

西鉄千早駅に停車中に貨物列車が
駆け抜けて行きました。



2006年(平成18年)の線路付け替えで
営業キロ数が変わったのは
香椎宮前 - 西鉄香椎間と思っていたのですが、
ひょっとすると名島からの高架区間
全体だったのかも知れません。

高架区間からの眺めです。



福岡中心部から7〜8km程離れ、
繁華街のビルこそありませんが、
マンションや住宅が建て込んでいます。

貝塚から8分程で西鉄香椎に到着しました。



ホームこそ短いですが、高架区間に
造られた駅は堂々としていました。

西鉄香椎を出て地上を走るようになり、
左手に遊園地のジェットコースターを眺めて走りました。

住宅地の間をしばらく走ると、和白です。



右手に見える線路はJR香椎線の和白駅です。
今は別の会社が経営する鉄道路線ですが、
元々はこの西鉄・貝塚線と同じく博多湾鉄道が開通し、
西日本鉄道へと引き継がれていた路線です。

ところが1944年(昭和19年)に西戸崎から
宇美に至る路線は国有化されてしまいました。

宇美で産出される石炭の積み出しを国策とした為でしょうが、
同じ会社の路線なら、お互いの線路に乗り入れたり、
和白で接続するようなダイヤを組むと思うのですが、
今ではホームこそ隣り合っていますが、
貝塚線とJR香椎線の線路は渡り線もなく、
背中を向け合っているように見えます。

この和白でも列車交換しました。



和白を出るとJR香椎線の線路を
オーバークロスする為に勾配を上っていきます。

埋め立てられて狭くなってしまった
博多湾が輝いて見えていました。



西戸崎へ向かうJR香椎線のレールも
綺麗なカーブを描いています。



線路の左手の空き地は埋立地で、
以前は海に沿う美しい光景が
広がっていた事でしょう。


次の三苫までは再び住宅地の間を走りますが
やがて景色が開けてきました。



三角形状の山は立花山でしょうか。
三苫を過ぎて、一気にのどかな景色になり、
運河のような湊川を渡ると
終点、西鉄新宮です。



貝塚からの11.0kmを23分かけ、
定刻の14:11に到着しました。

ここから津屋崎までの線路が延びていましたが、
その線路は既に取り外されてしまっていました。



津屋崎までの区間が廃止されたのは、
この時からわずか9ヶ月前の事です。
明るい日差しの中ですが、
手際よく取り外された線路跡は
なんとも言えない寂しい光景でした。




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